私は過去に3回ほど、九死に一生を得る(いわゆるニアデス体験)をしているのですが、
そのうちの2回について、ふと思い出した事があったので、書いてみたいと思います。
まず1回目は23歳の時。
国道を歩いていて、車に跳ねられました。
8mほど飛ばされて、顔面からアスファルトにダイブし、頭と顔を強打。
病院に運ばれて、意識不明の重体だったのですが、手術を終え、しばらくして意識が戻った時のこと。
頭を強打していて脳挫傷、そして顔もぐちゃぐちゃに潰れており、
かなり酷い状態だったので、お医者さんはどう伝えるか、かなり悩んでいたそうです。
何せまだ23歳ですからね。
若い女性が、顔がぐちゃぐちゃになっている。
そして体は全く動かない。
言葉を発することも出来ない。
普通、そんなのを同時に聞かされたら、精神が錯乱するでしょう。
というか、実際にそういう人が多いそうです。
でも、私は生粋のスキゾイドちゃんだったので、全然動揺しませんでした。
こういう出来事に対して、感情が一切動かないので、
お医者さんに淡々と、
「全部正直に話してください」
「今すぐ鏡を持ってきてください」
と伝えました。
そして、自分の体が全く動かないことや、鏡でぐちゃぐちゃになった自分の顔を見て、
「そうか。こうなったか。まぁ仕方ないな。」で終了。
それ以上、何も思いませんでした。
お医者さんは随分と私のことを、精神的に強い人だと思ったようですが、
単に元々感情がなかっただけなので、私にとってはそれが普通でした。
まともな人なら、鏡を見た瞬間に発狂するそうです。
まぁ、そうでしょうね(^_^;)
私があまりにも超然とした態度だったので、お医者さんもやりやすかったと言っていました。
一切文句言わないし、辛い治療にも黙って耐えるし、何より絶望しない。
こんなに温順な患者は珍しいそうです。
まさかこんなところで、飼いならされた羊さんの特性を発揮するとは!って感じですね(笑)
そして、2回目は30歳の時。
末期の胃がんになり、余命宣告を受けました。
癌って初期の頃は、全く自覚症状がないんですよね。
気付いた時には、もうステージ4まで進行していました。
この時も、お医者さんから自分の状態を聞かされて、
「そうか。まぁ仕方ないな。」で終了。
一切、心が乱れることはありませんでした。
大半の人はショックと死への恐怖心で、頭がおかしくなるらしいのですが、
私はこの時も、超然とした態度で、「なってしまったものは仕方がない」
と淡々と受け止め、残された余命をどう生きるかだけを考えていました。
何人かの知人から「怖くないんすか?」と聞かれましたが、
「怖いって言ったら、それで何とかなるの?」
と思っていたので、「なるようにしかならないでしょ」と、顔色一つ変えませんでした。
(実際、恐怖心は全くなかった・・・。)
この辺の詳しい話は、また別の機会に書こうと思いますが、後日談として今は癌は完治し、再発もしていません。
事故の怪我の方は、後遺症や手術痕は残っていますが、
日常生活がなんとか自立して送れるくらいまでは回復したので、今は多少の不便はあっても、普通に暮らしています。
こうして当時の事を振り返ってみると、感情がないというのは、凄いことだなと思います。
今はこの頃よりも、だいぶ人の心を取り戻しつつあり、感情もそれなりに豊かになってきているので、
もし今、同じ試練があったとしたら、たぶん耐えられないと思います。
ちなみに何でこの頃、いつもこんなに超然とした態度だったのか。
そこには母の強烈な刷り込みがありました。
自分の力でどうにもならない事をいちいち騒ぐな
痛いとか辛いとか苦しいとか、いちいち言うんじゃない。
思えば、幼少期からそんな教育でした。
無理もない話です。
だって母親自身が、おばあちゃんからそうやって育てられてきたのですから。
実際、私は母が何か取り乱したり、泣いたり騒いだりしているところを、一度も見たことがありません。
教育(子育て)の負の連鎖というのは、こうして連綿と受け継がれてきたのだなあと思います。
単純に人として、何事にも動じないというのは不自然だし、これは凄いことではないのです。
明らかに私はこの時、人格が壊れていたのだなぁと感じます。
時々病院でも、一切の麻酔なしで胃カメラしてる人とか、歯の治療をしてる強者がいますが、
人として痛みを感じないとか、恐怖心を感じないっておかしいです(笑)
まぁ、そんなんで。
事故の話と病気の話は、またおいおい、このブログで全て紐解いていきたいと思います。