9歳の子供が車を運転し、事故を起こしたというニュースを見て、非常に驚いたわけですが。
育て方を間違えたことにより、自分の子供が勝手に車の鍵を持ち出して、
公道を運転し、追突事故を起こすというのは、一歩間違えば親子共々、人生を詰む可能性もあるわけで。
そういうリスクすらも孕んだ子育てというのは、人生において極めて難しい問題であり、
そこに果敢にチャレンジしている世の中の親御さんたちは、やはり凄いなぁと思うのです。
私の母は、自分の理想の教育像を徹底的に貫いた結果、
「何でこんな子になっちゃったのかしらねぇ。孫の顔も見れないなんて。」とガッカリする老後を送る事になったし、
子供側である私も「それな。」としか言いようがなく、もうこれって笑うしかないわけです。
今更ながら思うけれど、反抗期っていうのは本当に大事で、
幼少期~思春期までに抑圧した感情を、一旦出しきる貴重なデトックス期間と考えれば、
然るべき時期に盛大に暴れるというのは、一回通った方が良かった道かもしれないと思うのです。
私なんて、反抗期が一切なく、呑気にエンヤとか聴いてたもんなぁ。
褒められない、認められない、甘えられない、愛情をわかりやすい形で示してもらえない。
わりとキツイ四重苦。
そうして異常なほどに我慢強くなったけど、これは強さじゃなくて、ただの諦め。
だって、社交性がゼロであることによって、大人になってから行う社会的リハビリ(人に慣れていく)というのは、
膨大なエネルギーを要するものであり、
親側は、子供が成人してもなお、そんなところで、ひそかに苦しんでいることを全く知らないわけです。
これを略して「それな。」と言わずに何と言うのかもう・・・(笑)
そしてここからは、最近気付いたかなりエグい思い込み。
あんたはいらない子供だった
生むつもりじゃなかった
橋の下から拾ってきた
これらの事を親から言われた経験があり、
自分は生まれてこない方が良かった
という思い込みがあると、わりと人生が破滅に向かいます。
私はこの手の思い込みは一切ないけど、他の人の事例で結構持ってる人がいて、
「作る予定じゃなかったけど、出来ちゃったのよね~。」って親に言われた経験のある人の多いこと。
まじで絶対言ったらアカンで、これ。
言われた側は、自分はいらない子なんだという前提が入り、
自ら自分を消そうとして、難病になったり、事故にあったり、障害を負ったり。
まじでシャレにならない人生を生きている人が結構います。
あえて無謀な挑戦や過酷なチャレンジをしたり、生と死のギリギリのところで生きてみたり。
命知らずな面がある。
本当にシャレにならないので、この手の思い込みを持っている人は、早急に処理することをオススメします。
あと、私が幼少期に実際にやられた体験として、
しつけと称して締め出す
これも最悪です。
確かに、悪い事をした事実はありますが、
家の外に出されて玄関の鍵をかけられ、中に入れてもらえない。
このお仕置きを一回でもやられると、強烈なトラウマになります。
昭和時代には、わりとあるあるな定番のお仕置きでしたが、
これをやられると、強烈な「見捨てられ不安」が根付き、生涯苦しむことになります。
私もこれがあったので、時間を掛けてようやく外しました。
夜、外が真っ暗な中で、どれだけ泣いても叫んでも、中に入れてくれなくて、心細くて不安で。
このまま親から見捨てられて、一生家の中に入れてもらえないんじゃないかと感じた不安は、今でも鮮明に覚えています。
一人になった時、やたら不安になるとか、孤独が怖いとか、暗い場所が怖いとか。
そういう感情って、案外こういう記憶と繋がってたりします。
ちなみに後日、親にこの事について話しましたが、
「えっ?そんなお仕置きしたっけ?」
やった方は全く覚えていません。
親なんて所詮そんなもんです。