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内観の記録。その他。

プライドと見下し

今日はまた、思い込みシリーズを一つ書きたいと思います。

 

私がカウンセリングを受けていた頃、カウンセラーの先生から、一番最初に指摘されたある思い込みがあります。

 

それが「見下し」です。

喋り始めてわずか1分。

 

会話の冒頭で、「ちょこさん、見下しが凄いですね。それ外さないと、一生変われないですよ。」と言われました。


実は見下しに関しては、自分で強い自覚がありました。

 

なぜなら私は幼稚園の頃から、周りの人たちをずっと見下していたからです。

 

 

3歳くらいから、自分以外は全員バカだという認識がずっとありました。


幼稚園でのお遊戯の時間も、楽しそうに歌ったり踊ったりしている他の生徒を見て、「くだらないことしてバカだな」といつも鼻で笑っていました。

 

なぜあんなにくだらない事をバカみたいに出来るのか。

 

全員消えればいいのに。

と思っていました。

 

学生時代も社会人になってからも、自分以外の周りの人が全員バカに見えていました。


世の中全部くだらない。

地球に生きる人々は全員アホなのか。

 

本当に心の底から人を、そして自分の親すらも、全員バカだと思っていたのです。


そして図々しくも、自分だけがまともで賢いと思っていました。

 

 

この思考癖は昔からずっとあったので、「見下し」と言われて、「ああ、その気持ちはずっとあります。」と答えました。

 

しかし、なぜそう思うのか、その理由はわかっていませんでした。


その時、先生から衝撃的な回答を頂いたのです。

 

 

「この手のタイプはアダルトチルドレンに多いんだけどね。何でそう思うかわかる?」


アダルトチルドレンってさ、機能不全家庭に生まれて、その中で必死に生き抜いてきたわけ。

 

どんなに辛い環境でも、ずっと我慢して耐え抜いてきたの。

 

だから、プライドが高いんだよ。

 

誰よりも苦しい環境で生き抜いてきた自分のことを、お前らにわかってたまるか!って本心ではずっと怒ってるわけ。

 

だからムカつくんだよ。」

 


「何の苦労もせずに、幸せな家庭でぬくぬくと育った奴らに、私の気持ちがわかってたまるか!って。

 

この気持ちが、相手より自分の方が上なんだっていう強いプライドになっているの。

 

無意識にある感情だから、すぐにはピンと来ないかもしれないけれど、本心では苦労して必死に自分と向き合って大変な思いをして生きてきた自分の方が格が上で、

 

何の苦労もなく平凡に楽しく暮らしてきた人たちは、自分より格が下だという感覚。

 

これを外さない限り、人をバカにする態度を改めない限り、ずっと苦しいままだよ。」

 


これにはさすがに参りました(笑)

 

図星どころか、寸分違わずに本当にこの通りだったからです。


確かに私は、こんなに苦労してやっとの思いで生き抜いてきたのに、温かい家庭に生まれて、何の苦労もしていない人たちは、そんな苦労なんて知らない。

 

自分と向き合うことも、何かを深く考えることもしない。

そんな奴らは全員、自分よりバカ、自分より下。

 

本当にその通りのことを思っていたのです。

 

 

これを言われて、私はしばらく考えました。

 

するとさらに、私はこんなに自分の生きづらさと向き合って、何ひとつ楽しめずに生きてきたのに、何も苦労せずに楽しんでいるみんなはズルい。

 

本当は自分もみんなと同じように、普通に人生を楽しみたかった。

 

 

みんなの事をバカだと思っていたのではなくて、本当はみんなが羨ましかったという感情が次々に出てきたのです。


私が人を見下していた原因はこれだったのか。

 

みんながバカだったのではなく、私がアダルトチルドレンとしての余計なプライドを持っていたことや、

 

劣悪な家庭に生まれてしまったことで、色々な我慢を強いられたこと、子供時代に純粋に人生を楽しめなかったこと。


その恨みつらみが全て、厄介なプライドとなって、目の前に立ちはだかっていたのです。


もうどれほど傲慢だったのでしょう。

 

これに気付いた時は、本当に心の底から世の中の皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 

バカなのは私だった。


そこに気付き、私はこの「人を見下す」という思考癖を必死で直しました。

 

そして今はもう完全になくなっています。

 

そして、なくなってみて思います。

この世の中にバカなんて一人もいません。

 

人は等しくみんな価値があり、そこに優劣などないのです。


「何も考えないバカが嫌い」

これはアダルトチルドレンに多い、劣等感やプライドから来る思考です。

 

相手をバカ認定することで、自分を優位に立たせ、苦労してきた自分を正当化する。

 

もう傲慢極まりないです。


ここに気付くと、元々温かい家庭に生まれて、余計な苦労をすることもなく、幸せに暮らしている人たちを素直に「よかったね」と言えるようになります。

 


自分が苦労したから偉いんじゃないし、苦労していない人が下でもないし、そもそも誰が上とか下とかないのです。

 

もっと言えば、苦労しないで最初から幸せな方がいいに決まっています。

 


そして、この思考がどんどんこじれていくと、哲学を学び始めたり、心理学を学び始めたりして、

 

やけに難しい言葉を使って、相手を論破するようになり、非常に嫌な人間になっていきます。

 

(私はさすがにそこまでなかったですが、そのレベルまで行ってしまっている人をたまに見ます。男性に多いです。笑)

 

自分の知識をひけらかして、相手をバカ呼ばわりしている人は、実は結構多いのです。

 

 

他人をバカだと罵ることは、「私はプライドと劣等感の塊です!」と宣言しているのと変わらないので、本当に恥ずかしいです。

 

気付いてしまえば、あとはその思い込みを外して、自分で自分を癒すだけです。

 

 

今まで辛い環境で耐えて頑張ってきた自分に、「よく頑張ったね、辛かったね。」と言うだけでよく、他人を見下す必要は全くありません。

 

そして実は人を見下すことって、無意識下でもの凄くエネルギーを使っているので、この感覚を持っていると、体が負のエネルギーに引っ張られ、徐々に疲弊していきます。

 

見下しを外すと一気に体が軽くなりますから、さっさとくだらないプライドは捨てて、自分を救い出す必要があります。

 

もう一度言います。

この世にバカなんて存在しません。

 

そう見ている自分の認知の問題なのです。

 

認知の歪みがない人はこれが両方、自然に出来ます。

 

極めて冷静に考えることもできるし、目の前のことに夢中になって、ただただ遊ぶことも出来る。

 

 

私は最終的にそのバランスを目指しています。

 

自分にとって意味もないこと、仕様もないこと、くだらないことが全部バカに見えるという前提を外すのはとてもキツイことです。

 

嫌いなものを好きになれと言っているのと同じくらいしんどいです。

 

でも、そのステージを通らなければいけない。

 

ズルいという感情と、羨ましいという感情。

これが順番に出てくるので、それを素直に受け止める。

 

 

そして、それらの感情をちゃんと認めたら、ただただ目の前の事を純粋に楽しむということが、自然と出来るようになるところまでがゴールなのです。

 

こういう心の問題を一つ一つ乗り越えていくことこそが、自分を立て直すことであり、認知の歪みをとることです。

 

 

自分は賢いとか相手はバカだとか、何かをジャッジする姿勢は、結局過去の自分の記憶と比較しているだけなので、


私があんな馬鹿な人たちを羨ましいと思うはずがないという抵抗も、これまたジャッジなのです。

 

 

見下しは結局、ジャッジすることにエネルギーを使っている状態なので、その心の在り方を抱えている限り、本当の意味での幸福感を味わうことは難しいのではないかなと思います。

 

 

ちなみに私は、この思い込みを外してから、ただただみんなとバカなことをやって笑うことが出来ており、

 

つい先日も若者のインスタライブに参加して、ひたすら寝起きのすっぴんを見せ合っては爆笑するという、とてもくだらない遊びに参加しましたが、

 

これがとても面白くて、終始笑いっぱなしでした。

 

 

一見何の価値もないようなくだらない事でも、全力で楽しめるようになったら、あっという間に心は回復していきます。