神田沙也加さんがお亡くなりになった件について、今日、神田正輝さんのかつてのコメントがYahoo!ニュースに掲載されていました。
「僕は娘の避難所。困ったときや苦しくなったときに助けてあげられる距離がいい。」
この発言。
これを見た時、神田さんにこの前提があるから、娘さんはとても苦労の多い人生だったのではないかと思いました。
本来親は、子供にとって居場所であるべきなのに、居場所じゃなくて避難所と表現してしまってる。
親がその思考でいれば、そりゃあ子供に避難しなければいけないような現実がたくさん起きるよね。
避難しなければいけないような辛い現実がたくさん起きなければ、避難所は成立しないですからね。
もしここで神田さんが、「僕は娘の居場所。」と言っていたら、現実は全然違ったと思います。
これが脳の使い方の怖いところで、おかしな歪みがあると、こんなふうに人はどんどん幸せから遠ざかってしまうのです。
こういう話を書くのは、もしかすると不謹慎なのかもしれませんが、心の問題や認知の問題というのは、こういう他人の事例から、たくさんの事が学べるので本当に貴重なのです。
居場所と避難所。
この2つの言葉を間違えただけで、現実に起きる現象は全く別のものになってしまう。
だから、いかに脳を整えるかが大事なのです。
そしてもう一つ。
母親の松田聖子さんのコメント。
年末の紅白歌合戦に出場するか否かの記事が出た時に、書かれていた以下の一文。
「娘のためにもしっかりと歌わないと。娘に恥じないようにしないといけない。」
もう完全に思考が義務なんですよね。
“ねばならない”義務思考。
この2人の発言から、沙也加さんにとって両親は居場所ではなかったのではないかなと、推測出来ます。
もちろんこれは、神田さん、聖子さんの話だけではなく、世の中の大半の親がそうなんです。
ちなみに、私も子供時代は家に自分の居場所がなかったので、実家にいた頃はずっと押し入れの中に隠れていました。
私の居場所はずっと、あの狭くて暗い押し入れだったのです。
そしてこれは決して他人事ではなく、もし私が結婚して親になっていたら、私も同じことをしていたでしょう。
だからこそ、こういう負の毒親の連鎖を止めるためにも、色々な方の事例から認知の歪みを学ばせて頂いています。
まっすぐ生きること。
歪みのない自分になること。
私は今、淡々とそこを目指しています。