実は最近、Twitterをやっていまして。
今までSNSには全く興味がなかったのに、FacebookやらTwitterやらInstagramやら。
まぁ、色々やっています。
パーソナリティ障害が改善してくると、こういうのも普通に出来るようになるんですね。
元々SNSは好きではないですが、以前のような変な抵抗がなく、わりと手軽なツールとして楽しく使っている感じです。
まぁ、極めてくだらない事しかつぶやいていないし、スキゾイド関連のつぶやきは一切していないので、特にアカウントも紹介はしないですが(^_^;)
で、最近Twitterを見ていて思ったことがあります。
それは、自分を変えたくない人がとても多いということです。
生きづらくて仕方ない。
ラクになりたい。
そう言うものの、でも自分と向き合うことからは逃げている。
そんな人がとても多いです。
私も以前はそうだったので他人の事は言えませんが、やっぱりこれってもったいないなと思うのです。
そもそも、生きづらさというのは、周りの環境が原因ではなく、自分自身の認知の歪みが原因です。
この歪みを持っている限り、どれだけ環境を変えようとも、例え無人島で一人になろうとも、生きづらさは一生消えることはありません。
なぜなら、それはスマホにインストールされたアプリと一緒で、自分の歪みの原因となっている元(脳にインストールされているアプリ)を、アンインストールしない限り、その現象はずっと自分に付きまとうからです。
だから対症療法ではなく、徹底的に自分と向き合うことでしか、生きづらさというのは解消できないんです。
安住の地というのは、外の世界にはどこにも存在しなくて、あるとしたら、それは自分だけが作り出すことが出来るものです。
幻想を追い求めて逃げ場所を探し続けることも、防衛機制の一つであって、環境のせいにすれば、自分と向き合わなくて済むというメリットがあります。
都合が悪くなれば、それは全部社会のせいに出来ますから。
私がこれらの事に気付き、自分と本格的に向き合い始めたのは、41歳からです。
もうこの時点で完全に人生詰んでいます(笑)
認知行動療法をベースに、自分という人間と徹底的に向き合った結果思ったのは、何でこんな状態になるまで、自分を放っておいたのかという後悔でした。
私が以前のアメブロでよく頂いていたメッセージは「今この瞬間に感じている苦痛だけを取り除きたい」というものでした。
自分と向き合いたくはない、毒親とも向き合いたくはない。
ただラクになりたい。
ラクに生きれるようになりたい。
残念ながら、そんなに都合のいい話はありません。
ラクになるには、脳の中に埋まっている根本原因を根絶やしにしない限り無理なんです。
自分を変えるためにまず何をすればいいかの問いに私は、「朝起きてから夜寝るまでの全ての自分の言動、思考を観察し記録してください。それを365日続けてください。」と言っています。
これを言うと、だいたいその次の日から連絡が来なくなります(笑)
気持ちはわかりますが、それをやらないと一生変われません。
もし自分がパーソナリティ障害や社会不適合者で、会社員が苦痛だとしたら、会社員が苦痛な理由をまず200個上げる。
これが最低ラインです。
それくらい強い覚悟を持ってやらないと、自分は変えられません。
なぜなら、中途半端にやっていると、ホメオスタシスによって簡単に元の自分に引き戻されるからです。
進んでは戻り、また進んでは戻り、を繰り返します。
真面目にやっても、このプロセスは必ず通るのですが、中途半端にやっていると、このプロセスがとても辛いものになり、結局自分と向き合うことが嫌になります。
そうしてまた元の自分に戻っていく。
私のように身体表現性障害に罹患し、体が辛くてほぼ寝たきりの状態になり、背水の陣の覚悟にでもならない限り、人は本気を出さないのだろうと思います。
そしてその本気を出すタイミングというのは人それぞれで、私はそのタイミングすらも神様が計っているのではないかと、最近は思っています。