子供の頃、どうしても学校に行きたくなくて、何とか学校を休む方法はないかと考えた結果、
当時主流だった、水銀体温計を毛布で擦り、39度まで上げて母親に体温計を見せた。
「お母さん、頭が痛いです。熱があります。」
と言って、恐る恐る体温計を差し出すと母は、
「39度がなんなの!こんなの熱があるって言わないでしょ!
体温計は42度まであるの。42度超えなかったら死なないの。学校に行きなさい!」
と言って、もの凄く冷酷な態度で淡々と怒られた。
母親の認識では、体温計の目盛りの42度を超えたら、つまり温度が42度まで振り切ったら、そこで初めてやっと病気として扱ってもらえる。
頭が痛いとか、熱があって辛いという言葉は、42度を振り切ってから言えと。
39度なんて、まだ目盛りで表示できているんだから病気ではない。
これくらいでは死なないという態度だった。
母親には何一つ、甘えは通用しない。
そもそも、痛いとか苦しいという言葉を口に出すと、容赦なく怒られた。
「痛いって口に出したら、それで痛みが消えるの?消えないでしょ。
だったら、いちいち痛いとか言うんじゃない!」
なんて理不尽な怒られ方なんだと思った。
その結果、私は痛みに異常に強くなり、骨が折れても、内臓が溶けても、顔が潰れても全然平気になった。
痛みの感覚が完全に狂ってしまったのだ。
かつて事故で救急搬送された時、こんなに痛みに強い人を初めて見たと担当医に言われた。
でもそれをようやく直した。
今では、ちょっとでも痛かったら、すぐに痛いと言えるようになった。
その結果、他人の痛みが分かるようになった。
昔の私は他人の痛みが分からなかった。
42度までは死なない
この世界観で生きていたから、他人にもそれを強要していたからだ。
この性格のせいで、随分色々な人から冷たいと言われたし、たくさんの損をした。
何より、自分が病気で倒れた時、「なんでこんな状態になるまで放っておいたんですか。」と医者から言われることが多かった。
母親が何でこんな育て方をしたのか分からない。
でも私は実家にいた時、母親が弱音を吐いたり、痛みや苦しみを口にしているのを、一度も見たことがない。
母親自身も、相当痛みに強かったのだろうと思う。
お母さんの教育は間違っていた。
痛いものは痛い。
そう言えない人間は、いずれ心を病む。
正直今でも私は、異常なレベルの強い精神力を持っているが、この強い精神力が身に付いたことを感謝しているかと言えば微妙だ。
むしろ、失ってはいけない大切なものを失ったような気がずっとしている。
そして40年経った今思う。
本当はお母さんに優しくしてもらいたかった。
病気の時は寄り添ってもらいたかった。
学校に行きたくない理由をちゃんと聞いて欲しかった。
でもお母さんはそれが出来なかった。
他人を思う心を持っていなかった。
子供の気持ちが分からなかった。
ずっと辛かった。
寂しかった。
痛い時は痛いと言う。
当たり前のことだけど、その方がよっぽど人間らしいし、生きてるってそういう事だと思う。