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内観の記録。その他。

人格暴露ゲーム

自分の心の問題と向き合うというのは、ずっとひた隠しにして、触れないように隠してきたものを、公に暴露されるという非常に辛い罰ゲームのようなもの。

 

でも、その辛い道を通った先にしか回復はない。

 

 

ラクして簡単に自分を変えたり、潜在意識を一瞬で書き換えて、まるで別人のようになったり、何の痛みも伴わずに現状から抜け出したり。

 

もしそんな魔法のような方法があるのなら、1億円払ってでもいいから、私が知りたい。

 

 

自分と向き合う作業というのは、自分が生きてきた過去の時間をすべて巻き戻し、丁寧に長い時間をかけて自分を修復していくということ。

 


一人でやれば、脳が思考停止して一向に進まないし、カウンセリングに行けば、先生に容赦なく触れられたくない部分をどんどん切り込まれるし。

 

グループカウンセリングに出れば、みんなが見ている前で、盛大に公開処刑されるし(笑)

 

 

でも、そういうのを乗り越えるからこそ、自分を変えることが出来るわけです。

 

思考を変える最中には身体反応も出るから、吐いたり呼吸が苦しくなったり、あちこち痛くなったり、色々出るよ。

 

 

怖いよ。

辛いよ。

 

イライラするよ。

絶望もするよ。

 

 

ずっと触れたくなくて、必死に隠し続けてきた本当の自分を、カウンセリングで公開処刑されて、みんなの前で晒された時、

 

「あー!なんて事してくれるんだよ!やめてよ。」

 

「もう聞きたくない。嫌だ嫌だ。認めたくない。余計なことしないでよ!」

 

の連続でした(笑)

 

 

まぁ私の場合、親の呪縛があまりにも大きすぎて、どこから手をつけたらいいのかわからなかったので、最初だけ精神科とカウンセリングに通いましたが、

 

認知行動療法のやり方を現場で盗んでからは、全部自分でやるようになったので、一回コツを掴めば後は一人で淡々と出来るというイメージです。

 

 

そうして、自分の思い込みや刷り込みに気付いていくと、交差点の真ん中で突然「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」となったり、

 

膝から崩れ落ちるくらいの強烈な思い込みに気付いた時は、一時間くらいずっと一人で天を仰いだり。

 

 

こんなくだらないことで、43年間も拘束されていたなんて信じられない!という、様々な感情をくぐり抜けて、自分を取り戻していくわけです。

 

 

どういうわけか、私はウォーキング中に思い込みに気付くことが多いので、よく道路の真ん中で「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」となります(笑)

 

そうは言っても、理屈はわかるけど、どうしても出来ないって人も多いと思います。

 

 

自分を変えるには覚悟が必要です。

 

古い記憶から、どんなに残酷な内容が出てきたとしても、それを全部受け止めて、自分の責任で解決する強い覚悟がないと、脳は協力してくれません。

 

 

「本気でやるんだね?」

 

脳に聞かれるので、「命を懸けてやります!」と答えた時に、潜在意識の記憶の扉が開きます。

 

これを私は、人格暴露ゲームと呼んでいます。

 

 

すいません、生粋の昭和世代なもので、名前をつけずにはいられないのです(笑)

 

親に呪いをかけられた人格を一つずつ壊し、次々に暴露させ、何の装飾もない純粋な自分を表に出した時、そこには今までに見たこともない素晴らしい世界が広がっています(大袈裟!)

 

 

ここまで全部、実際に通ってきた道なので、同じような問題を抱えている人の気持ちが痛いほどわかります。

 

 

私も最初は、心理療法でどんどん変わっていく人を見て、焦ったことが多々ありました。

 

他の人は3ヶ月くらいで目に見えて変わっているのに、私は全然前に進まないとか、ダイエットで言う停滞期みたいなものもありました。

 

そういうのを乗り越えて今があります。

 

 

自分の脳に問い掛けて、ずっと考えても何も答えが出てこない。

 

やっても一向に現実が変わらない。

むしろ悪化した。

 

これもあるあるです。

 

 

認知行動療法では、自分で考えて自分で答えに気付かないと、そもそもやる意味がありません。

 

しかし、完全に極まで脳がこじれている人は、自分でやろうにも手のつけようがないという状態になっていて、そこから抜け出すヒントすら掴めない人もいると思います。

 

 

そして私と同じようなタイプのパーソナリティを持つ人は、そもそもカウンセリングに行くこと自体に抵抗がある人が多いと思います。

 

だからこそ、一つの事例としてこうしてブログを書き始めたのですが、文字で書いて整理すると、思考がスッキリするだけでなく記録にも残るので、後で自分で読み返した時に「こんな事を考えていたのか」というのが非常に面白いのです。

 

 

で、認知行動療法や内観などをやっていて思うのが、エビデンスなど全く何の役にも立たないということです。

 

エビデンスというのはある種の権力を持つ者たちが、自分の持っているデータには価値があると言いたいためだけのもので、本当に大事なのは、当事者の生きた事例と現場の声、実体験しかないと思っています。

 

 

データで人は変わらない。

 

エビデンスを欲しがる人には、当事者の生きた事例など、夢物語にしか聞こえないようです。

 

 

「証拠を出せ。」

 

以前運営していたブログでまだコメント欄を開放していた頃、一度だけ言われたことがあります。

 

思わず「西部警察か!!」とツッコミたくなりましたが(笑)、きっとこの人はデータを自分の拠り所にしないと、生きていけない人なんだなと思いました。

 

 

医者に頼るかデータに頼るか。

人のせいにするか、社会のせいにするか。

 

全部自分で責任を負うか。

 

 

2年経った今思うのは、まさにディズニーの「Let It Go~ありのままで~」の歌詞のような気分です。

 

youtu.be

 

「自分を好きになって

自分を信じて

 

光を浴びながら

歩き出す

 

少しも怖くないわ」

 

 

不思議と怖さは全くありません。

前進あるのみです。