明けましておめでとうございます。
1月1日、今日からまた気持ちも新たに頑張るぞと思っていたら、夜になって持病の発作が悪化し、なんと倒れてしまいました。
「うわー!お正月の病院がやっていない時に、わざわざ倒れるなんて、今年はなんて年なんだ。」と一瞬思いましたが、具合が悪すぎて、頭が全く回りません。
元日の夜にこのままだと死ぬかも?という恐怖に襲われ、何度か救急車を呼ぼうとしたのですが、結局翌日まで耐え、2日に離れて住む実家の家族にお願いをして、病院に連れて行ってくれないか頼んでみました。
電話をしたのは朝の7時。
すると親からこう言われます。
「今吞んでるから無理」
え?もうお酒飲んでる??
両親とも新年会と称した宴会で完全にパリピモードで、お正月くらい朝から吞まなきゃ!とか張り切っています。
あー、そうだった。
うちの両親は宴会大好きパリピ人間だった。
お正月こそ本領発揮するんだった。
こんな時に期待した自分が悪かった。
なんて事だ。
しかし、こっちは必死です。
自力で歩けるレベルではなく、本当に危機的状況で具合が悪い。
なので、何とか助けてくれないかお願いをしてみました。
すると返ってきた答えが、
自力で病院に行け
冷たくそう言われ、電話を切られました。
その時です。
ずっと心の中に溜まっていた過去の抑圧した感情が一気に噴き出してきたのです。
両親はいつも肝心な時にお酒を飲んで酔っ払っていて、何の役にも立たない。
子供が辛い時でも何も助けてくれない。
いつも私に対して冷たい。
どうせ自分は粗末な扱いしかされないんだ。
誰からも大切にされない。
肝心な時に無視される。
どうせ自分には価値がないんだ。
だから冷たくされるんだ。
本当に傍にいて欲しい時に、誰も傍にいてくれない。
そんなお父さんもお母さんも大嫌いだ。
そうしているうち、小さな頃の記憶を思い出し、いつも私や弟が病気になったり発作を起こした時は、近所のご夫婦が助けてくれていたことを思い出したのです。
両親は子供のことなんてどうでもいい。
参観日も運動会も来てくれない。
学校の卒業式には嫌々来て、先生と喧嘩した。
そうか、私の存在なんてどうでもいいんだ。
きっと私は親から嫌われているんだ。
愛されてないんだ。
そうして意識が朦朧とする中で、重要なことに気付くわけです。
そうです。
その裏側にある強烈な思い込みです。
お正月早々、病気で倒れる
↓
動けないので家族に助けを求める
↓
全員酔っ払っていて助けを拒否される
この流れは、自分で意図的に起こしたんだなと気付いたのです。
自分の存在意義を確認するために。
この負の感情を一度全部出す必要があったのです。
この出来事の裏側にあった子供の頃からのある記憶。
これを処理するために、脳が意図的に仕掛けてきたことに気付き、お正月早々やってくれたなぁと思いました(笑)
その後、しばらくして体調が少し落ち着いたタイミングで何とか自力で病院に行きましたが、奇跡的に家から車で3分のところにある内科が当番医だったので、運よく駆け込むことが出来ました。
病院が休みの時に、わざわざ体調を崩して当番医に行く試練。
思い込みが外れる時は、必ずこうした象徴的な出来事が起こります。
そして、これも全部意味があって起きている出来事なんだと気付くと、そこでまた一つ認知が変わるのです。
今回の体調不良はさすがに辛かったけど、ここでまた大きなデトックスが一つ出来たので、とても意味のある出来事でした。
病気というのは目的があって、何かを知らせたくて起きていることがほとんどです。
それは私の場合、子供が病気でも自宅に人を集めて盛大に新年会をやって、子供のことはいつも放置していた両親との過去の記憶がまさにそれでした。
本当に悲しかった。
助けて欲しかった。
でもそれと同時に、以前は親にすら助けを求めなかった自分が、素直に両親に助けて欲しいと言えたことは、とても大きな変化でもありました。
スキゾイドの基本姿勢は、常に放っておいてくれ、私と関わらないでくれなので、他人に助けを求めることは皆無だからです。
この歳になって、やっと他人にお願いをしたり、助けてもらうことに抵抗がなくなりました。
以前は病院に行くことも嫌でしたが、今はすぐに病院に行きます。
他人に迷惑をかけてはいけない
この思い込みを以前外したからです。
自分と向き合う覚悟を決めると、好転反応なんていうレベルではない試練が次々に起きてくるので、覚悟がない人、中途半端な気持ちの人は人格の矯正なんて、本当にやらない方がいいですよ。
認知の歪みを取るというのは、それ相応の痛みや苦しみ、絶望を伴うものなので。
それともう一つ。
今回の件で、元々私が抱えていた病気の問題が、根本的に改善しそうです。
今まで解決方法がないと思っていましたが、今回倒れたことで、根本から完全に治るかもしれないものを見つけました。
きっとそのために今回の試練があったのかもしれません。
ということで、お正月に起きた一つの体験でした。