My Storage

内観の記録。その他。

無価値感でコミュニティを運営する人々

最近、色々なコミュニティに入って、社会や人間というものを勉強しているのですが、自分の無価値感を埋める目的で、コミュニティを運営している人がとても多いですね。

 

無価値感=自分には価値がない

 

 

この感覚が強いと、外側にある何かで自分の価値を埋めようとする心理が働くので、自分の無価値感を埋める場所として、コミュニティを利用する傾向がとても高くなります。

 

 

そして、過去の私もわりと陥りがちだったのが、

 

「自分の価値を感じられる場所は大切にするけれど、自分の価値を感じられない場所は、無視したり放置したりしがち」という感覚です。

 

 

いくつか複数のコミュニティを持っている場合、そのコミュニティによって、メンバーさんが凄く自分を大切して、価値を感じてくれて盛り上がってくれる場所と、全然反応がなく、盛り上がらず自分に価値を見出してくれない場所。

 

そんなふうに、場所によって特徴が分かれたりします。

 

 

本来、認知がちゃんと整っていれば、場所によって態度を変えることはないのですが、認知が歪んでいると、自分に価値を感じてくれる場所は大切にするけれど、そうじゃない空間はどうでもいい扱いをするということを、無価値感の強い人は普通にやってしまいます。

 

もちろん本人は無意識にやっていて、そこに自覚もなければ、認知が歪んでいる認識すらありません。

 

 

悪気はなく、当たり前のようにやってしまうので、本人もなかなか気付けないのですが、これって普通にメンバーさんに対して、すごく失礼な行為なんですよね。

 

自分の無価値感を埋めるために相手を利用し、思い通りの結果にならなければ、無視するって何ですか?みたいな(^_^;)

 

 

コミュニティ作りのベースが自分の無価値感から始まっていると、自分がコミュニティのリーダーとして活動することで、そこで自分の無価値感を埋めたいと思ってしまいがちですが、これはかなり認知の歪んだ思考なので、自分で気付いて直す必要があります。

 

結局これも何でこうなるかというと、自分の価値が他人次第になっているからなんですよね。


生き方が全て他人基準なんです。

 

 

相手が認めてくれたら、そこで初めて自分の価値を感じられる。

 

でも、相手が認めてくれなければ、自分が必死に隠して抑圧している無価値感を刺激されるので、嫌な気持ちになるから逃げたくなる。

 

 

根っこにあるのは、自分は愛されていないのではないかという強い恐怖と自信のなさ、そして「君には価値がない」と否定されることへの強い不安です。

 

 

そうではなくて、自分の価値は本来自分で決めるものです。

 

人生は自分基準、そして自己決定感によって作っていくものです。

 

自分の価値の評価を他人に依存しているようでは、ずっと他人を利用し続ける人生になります。

 

 

私も長らくこの思考にハマっていましたが、ようやく抜けることが出来ました。

 

私のように、幼少期に親からずっと否定されて育ったタイプの人は、この歪みを持っているケースが多いでしょうね。

 

 

根っこにあるのは渇望感と承認欲求、つまり「自分の価値を認めて欲しい」「愛されたい」という強い願望です。

 

本来なら、幼少期に親から与えられるはずだったものが欠落していることで、それを大人になってから他人を使って埋めている。

 

そういう状態です。

 

 

自分の価値は自分で決める

 

本当に大切な感覚です。

 

これを取り戻さない限り、人生はずっと他人に左右され続け、「あなたの価値は他人次第なんですか?」という状態になります。

 

 

無価値感は、認知の歪みを大きくもたらす感覚なので、早急に手放した方がいいと個人的には思っています。