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内観の記録。その他。

魚も釣り方も両方必要

よく「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」みたいな話がありますが、私は常に両方与えればいいじゃんと思っています。

 

何でどっちか一つなのか。

 

魚と釣り方、両方与えたら無敵だと思うんですけどね。

 

答えを先に教えることで、学ぶことも実はたくさんあるし、どっちか一つじゃ片手落ちになりますから。

 


実際、死活問題レベルで人生が行き詰まっている人に釣り方なんて教えても、腰を据えてじっくり取り組む余裕なんてないわけで、この場合は一旦魚を与えてしまった方が早いわけです。

 

魚の釣り方を教えるのと魚を与えるのと、どちらも両方必要。

 

常にその視点で見て、その都度使い分けるのが正解だと私は思っています。

 

 

実際私の尊敬している方も、魚を与える時と釣り方を教える時を上手に使い分けていて、適度に魚を与えつつ釣り方も教えているのですが、そのやり方がもう見事でとても参考になるのです。

 

 

一番良くないのは、どっちか一つに思考が偏ること。

 

どちらか一つだけを選ぶ時点でもう認知が歪んでいるので、状況に応じて適切な方を選べる自分でありたいと私も常に思っています。

 

 

そしてこれは内観でもそうで、自分と向き合う時、人によっては自分で問いかけて自分で気付かないと意味がないから、答えは一切教えないという指導者もいるんですよね。

 

でも私はそうは思っていないので、私のブログでは答えを教えることも多いわけです。

 

 

もちろん、自分で問いかけて自分で気付ければそれが一番いいけれど、それが出来ない状況にある人(そもそもうつ病の人などは無理)にとっては、他人の答えを見せてもらうことで、大きな気付きを得て前に進めるケースもあるわけです。

 

例えば、私の潜在意識の書き換えの師匠も、具体的に潜在意識の何をどう書き換えたら、現実がどう変わったのかの事例をかなり詳しく教えてくれる人だったので、自分で気付きなさいとか自分で考えなさいと突き放すことは皆無でした。

 

 

中には「あなたのためを思って言っている」「自分で考えないと意味がないから」と言って、具体的なやり方や答え(魚)を全く与えない人もいるのですが、これはかなり不親切だと思っています。

 

その人が魚を欲している時には、一時的に魚を与えた方がいい。

 

 

それは必要に応じて答えを教えた方がいい場合も多々あるからです。

 

認知がちゃんと整っていれば、両方バランス良く教えることが出来るので、もし仮にメンターを見つけるとしたら、魚の与え方と釣り方。

 

この2つのバランスが整った人を見つけると間違いないと思います。