今日はかなりブラックなやついきます(笑)
私が抜け出すまでに相当苦しんだやつです。
今回は平和に関する内容になりますので、何らかの形で平和に関することに関わったことのある人は、流れ弾に当たってダメージを受けるかもしれませんが、すいません。
というわけで、世界平和のブラックなお話です。
世界平和を願ったり、平和に関する活動や研究をしている人は、ほぼ例外なく自分の家族と仲が悪いという特徴があります。
そもそも世界平和を願うということは、世界が平和ではないという前提で世の中を見ているということですが、なぜその前提になるかというと、その根本原因が家族にあるからです。
世界平和を願う人というのは子供の頃、自分の家が平和じゃなかった、小さい頃の家庭環境が安全安心な場所ではなかった人がほとんどです。
そうなると、子供はどうすると思います?
子供って、無条件に両親が大好きなので、親に仲良くして欲しいと思うし、家庭の中が常に平和であって欲しいと願うんです。
その子供の頃に「こうあって欲しい」と願った思いが、いつの間にか世界平和に繋がってしまった。
でも本当に平和にしたいのは自分の家族だったんです。
本当は親と仲良くしたい。
本当は世界ではなく自分の家庭を何とかしたい。
という思いが根っこにあるんです。
でも、自分の家族は機能不全家庭だったり、両親が離婚していたり、親と折り合いが悪くて絶縁していたり。
世界平和を願う人は、ほぼ例外なく家族との関係性がこじれています。
世界平和を叫んでいる人は、だいたい自分の親との間に深い心の傷がある。
それを平和活動を使って修復したいと思っているんです。
そう、つまり平和活動というのはダミーで、本当はその活動の裏に「自分の家庭問題を何とかしたい」という強い思いがあるんです。
そしてこのタイプの人は親に対して、
両親は冷たかったとか
自分を愛してくれなかったとか
自分の存在を大切にしてくれなかったとか
そういう思いをたくさん抑圧しているんです。
平和=家族の象徴
ですから、平和に関する活動をすることで、その活動を通して自分の家族間での未完了の問題を癒やしたいと思っているんですよね。
平和活動というのは、本当は自分が子供の頃に平和な家庭環境が欲しかったという願望の表れなので、子供の頃に満たされなかった気持ちを満たすと、世界平和なんてどうでもよくなるんです。
つまり世界平和を願う心は、自分の満たされなかった子供時代の深層心理の表れなんですよね。
だから、今自分がやっている活動というのは、結局自分が癒やされたくてやっていることであり、それを突き詰めていくと、自分が子供の頃に得られなかった思いを埋めたいという欲求が裏側にあることがわかるんです。
逆に言えば、表立ってそういう活動をしているということは、それだけ裏側で子供の頃の小さい自分が満たされたいと、もがいているということ。
平和への願い=自分自身が平和な心に満たされたいという渇望
なんです。
そもそも家族と仲が良い人は世界平和なんて願いませんし、真の平和は自分自身の内面でしか得られませんから、そのためには幼少期の家庭不和の記憶を全部やり直す必要があるんです。
本当の世界平和とは自分の心の中にあるので、親と争う気持ちとか親が許せないとか親が嫌いとか、そういう気持ちを全て整理して、自分自身が本当に心の底から幸せになること。
それを目指すこと。
それが本当の平和活動なんです。
実はこれ、私もそうだったんです。
私も子供の頃から世界平和を願い、自ら平和主義者だとアピールしていたんです。
だってプロフィールにわざわざ平和主義者ですって書いてましたから(笑)
今思えば私の家族は平和じゃないんです、私本当は親に愛されたいんですって言っていたのと同じなので、今思えば相当恥ずかしい話ですよね。
そしてこれに気付いた時本当に絶望したし、平和活動って自分を癒したい人がする事なんだなって腑に落ちたんです。
で、その根っこの悲しみを癒やすと、もう二度と世界平和なんて言わなくなるんです。
何故なら自分の心の中に確固たる安心感が出来て、その心で世の中を見ると世界は平和に見えるから。
そしてこの世界平和を願う人達は、自分の幸せを置き去りにして、他人のために社会活動をする人も多いんです。
こども食堂とかやっている人も顕著ですけど、他人の子供を満たす前に自分自身が満たされてますか?ってことなんです。
自分の家族やインナーチャイルドを癒す方が先じゃないですかって。
こういう人は、だいたい自分自身は満たされていない、円満なパートナーもいない。
なのに、他人の幸せのために頑張っているとか、もう認知が歪みきってるの。
まず自分からでしょって。
こども食堂をやることで、平和ではなかった自分の子供時代を、他人の子供を使って満たそうとしてますよね?
有名なトルストイの言葉で「誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。」
というのがあるんですが、まさにこれなんです。
平和を願ったり、社会を変えたいと思う前にまずは自分を変える。
自分を癒す。
平和というのは不思議なもので、願えば願うほど遠のくものだということを、私は子供の頃からずっと感じていました。
それは家族という存在が近づこうとすればするほど遠くなっていたから。
でも今はわかるんです。
私が子供の頃からずっと持っていた世界平和という夢は、全部エゴだったんだと。
一つずつ丁寧に紐解いていくと、結局それは自分のために願っていることがわかるし、平和を願う気持ちそのものがもうエゴなんです。
だからね。
今、世界平和を願ってる人へ。
あなたの家族はどうなってますか?
親と仲違いしたり絶縁してませんか?
パートナーが出来ない、パートナーシップがうまくいかないなど、愛情面での問題を抱えてませんか?
子供の頃、自分が生まれた家庭環境が平和ではなかったですよね。
自分が育った家庭環境が平和ではなかったからこそ、本当は自分の心の平和が欲しいと思ってませんか。
本当は世界平和じゃなくて、自分の平穏が欲しいんですよね。
それは単に子供の頃に自分が欲しかったものを求めているだけで自己都合の願いだから、平和に執着すればするほど平和は遠のいていきます。
人はどこまでいっても、子供の頃に手に出来なかったものを追い求める生き物です。
だからこそ、親の呪縛を解くことが大切なんです。
私はこの呪いから抜け出すのに長い時間がかかりましたが、今はようやく抜けることが出来、もう平和への願いは全く持っていません。
この話は本当にブラックだけど事実なんです。
本当に平和に関することをやっている人ほど、家族と仲が悪くて関係性がこじれてますから。
そしてその満たされない気持ちを、平和活動や平和研究をすることで埋めたいと思ってるんです。
でも賢い人ほど、それでは自分の心の闇は埋まらないことに気付くので、そこに気付いたらあっさりと平和活動をやめてしまうんです。
もう何のためにやってるんですか?って話です。
純粋に平和に興味があって活動や研究をしている人は、道半ばでやめたりしません。
何故なら、動機が自分を満たしたいという渇望からではないからです。
本当は何のために平和を願っているのか、1000本ノックで納得がいくまで自分に問いかけてみてください。
そこを乗り越えた先に、本当の平和がありますから。