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内観の記録。その他。

呪いの金太郎飴

私は40歳で倒れてから、今までの自分を全て捨ててゼロから人生をやり直したと度々書いていますが、それは何故かと言うと、今の自分を保ったまま呪いだけを綺麗に取り除くことが無理だったからです。

 

親の呪いに毒されている人は、金太郎飴みたいにどこを切り取っても呪いしか出てこないので、もう手のつけようがない状態になっている場合は、一度更地にしてゼロからやり直すしか道がないというのが本当のところなんです。

 


腐ったみかん理論と一緒で、一つの箱の中に腐ったみかんが入っていたら、他も全部腐ってしまうんです。

 

何故なら、呪いの根っこは全て繋がっているから。

 


人は、今まで積み上げてきたものを捨てる勇気がないので、今までの自分を保ったまま、どうにか呪いだけを切り離そうとしますが、それは無理なんです。

 

これはやってみればわかりますが、一つ呪いを見つけてそれを解消すると、また次、また次と湧き水のようにどんどん呪いが出てくるんです。

 


で、私のような劣悪な家庭環境で育った人は、始まりから全部ズレているので、一度解体して更地にして、リセットしないと人生が立ち行かないんです。

 

そして結局中身は全部金太郎飴なので、どこを切り取っても呪いなのであれば、最初から全部捨てちゃった方が早いんです。

 


「ちょこさん、今まで積み上げてきたものを全て捨てることなんて出来るんですか?」と聞いてきた人もいましたが、「むしろどこを切っても呪いしか出てこない飴をずっと持ってる必要あるんですか?」って話なんです。

 

無論こういう話も、5年前の私のように寝たきりになって動けなくされて、初めて出来るようなインパクトではあります。

 


だって普通に生活が出来ていて、食事も取れていて、体調も悪くなくて、人生それなりに何とかなっていたら、わざわざ呪いの箱なんて開ける必要ありませんから。

 

たまにちょっと呪いが表面に上がってきたらまた蓋をして、嫌な親とも関わらないようにすれば、見かけ上は見たくない問題をクリアすることが出来ます。

 


でもそれでは、本当に向き合うべき問題は解決しない。

 

だから私はある意味、神様から選ばれた存在なのだと思っています。


みんながやりたくないことをあなたがやりなさいと。

 


私は5年前に勇気を出してパンドラの箱を開けましたが、

 

うわ、これも呪い
これも呪い

これも呪われてる


全部呪われてるー!!

 


と、ほぼ全ての要素が呪いに毒されていたので、全部捨てるしかありませんでした(笑)

 

捨てると言ってもゴミみたいにポイ!と捨てるのではなく、それらも自分の大切な一部ですから、必要なものは後で回収し、内観の材料にします。

 


そうして一度捨ててリセットして更地にしたところで、また新たな自分を積み上げていく。

 

これは私だけではなくて、私の内観仲間も同じようなことをやった人はたくさんいます。

 


私が師事している内観仲間の先輩も、水すら飲めなくなって寝たきりになったところから、一度人生を更地にして立ち直っていますから。

 

私のように自分の人生が全て親に呪われていて、どこを切っても呪いしか出てこないという自覚のある人は、一度更地にするということを勇気を出してやってみてください。

 


捨てると道が開けます。

行くべき方向が見えてきます。

自分の手で自分を救い出しましょう。

それが唯一の方法です。

 


こんなふうに、私が書いているような記事は、自分と向き合う覚悟が出来ていない人には、内容が鬱陶しくて仕方ないし、読んでいると怒りや不快な感情がたくさん出てくると思います。

 

でも、いざ本気で自分と向き合うと決めたら、本当に重要なヒントだらけで、かなり内観の参考になると思います。

 

 

覚悟を決めるタイミング、向き合うタイミングは良くも悪くも神様に計られると思うので、その時が来たら、この鬱陶しいブログを最初から読み直してみてください。

 

ここに辿り着いていることも何かのご縁だと思いますので。

 


ちなみに、呪いの金太郎飴になってしまっている人のわかりやすい特徴を書いておくと、

 

「親の呪縛を解きたいけど、呪いが大きすぎてどこから手をつけたらいいかわからない。」

 

 

この状態になっている人は、もれなく金太郎飴です(笑)

 

残念ながら全部呪われているので、一度全て捨てるコースに行きましょう。

 

 

捨てて身軽になって俯瞰して自分を見て、自分の中にある全ての未完了の問題を一つずつ整理していきます。

 

これが出来たら、人生変わります。

 

 

覚悟を決めれば勝手に道が開きますから、あとはやるだけです。

 

やってみると、とんでもなく大変であることにうんざりすると思いますが、それは今まで自分と本気で向き合ってこなかった罰なので、それも含めて受け入れましょう。

 

そこまで自分を放置したのは自分ですから。