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内観の記録。その他。

憧れと正当化

最近よく思うこと。

 

やたらと一人の人にコミットしたり、一人の人を異常なほどに慕ったりする人の中に「実はその人に憧れていると見せかけて、実際は自分の生き方を正当化したいだけ」ということがよくある。

 

 

一見分かりづらいんだけれど、本当はその人の生き方に憧れているわけではなく、その人と一緒にいることで自分の生き方が正当化されるから、相手を利用して自分はここにいてもいい、この生き方でいいという安心感を得たいだけだったりする。

 

そうして、その人と一緒にいることで、自分の生き方は間違っていないという正当化の理由を得ている。

 

 

だから異常なほどファン化して一緒にいる。

 

こういう人間関係を築いてしまう人の特徴は、真の愛情を知らないこと。

 

 

コミットする方もされる方も、誰かから本当に愛されたことがないから、この関係性が異常であることに気付けない。

 

私がかつていたネットビジネスの世界は不思議なほどこの現象が多かった。

 

 

従業員として会社という組織に所属出来ず、社会不適合者ゆえに自分で起業する道を選んだ人は、例外なく生きづらさを抱えており、その生きづらさを理解してくれる同業の仲間にやたらとコミットする人が本当に多かった。

 

きっと社会不適合者で、起業家としての生き方しか出来ないという自分の劣等感みたいなものを正当化したかったのだろうと思う。

 

 

そもそも認知が歪んでいない人は会社員も起業家もどっちも出来るし、社会不適合者というワードを決して自分にラベルとして貼らない。

 

 

この人と一緒にいると、自分の生き方が正しいと思える。

 

この人と一緒にいると、自分の生き方に安心感を得られる。

 

 

今一緒にいる人に対してこういう感覚を持っているとしたら、これも認知の歪みなので根本から人間関係をやり直すことです。

 

誰かと一緒にいることで、自分の生き方を正当化しようとする癖は自分の人生そのものを大きく歪ませます。

 

 

他人を使って自分の居場所を得ようとする自覚のある人は、これを機になぜそうなってしまうのか、自分に問いかけて向き合ってみてください。

 

 

最初は、価値観が合うから一緒にいるだけなのに、それが自分の正当化ってどういう事?って理解すら出来ないと思います。

 

(この価値観が合うというのがまさに罠なのですが)

 

 

これもかなり根が深い歪みであり、抜け出すのは相当大変なので、一定の時間を確保してひたすら自分に問いかけてみてください。

 

ここを乗り越えられると、人生が激変します。