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内観の記録。その他。

コミュニティについて思うこと

最近、コミュニティについて思うこと。

 

まともな人は、違和感のある場所からはすぐに離れていく。

 


だから、そこに残り続けるのは信者と情弱だけ。

 

私が参加していたコミュニティも、この人とは話が合いそうだなとか、この人の感覚好きだなと思う人はみんな退会していなくなってしまった。

 


でも、これは極めて正常な感覚。

 

まともな感覚を持った人がいなくなり、イエスマンと盲目的な信者しかいなくなったコミュニティは、荒らされることなく平和が保たれる一方で、もはやコミュニティとしての正常な機能を失っている。

 

 

そういえば、誰かが言ってたな。

 

「日本人は冷静だから、黙って去って二度と戻らない。」って。

 

 

そして潔く見切りをつけて別の場所に移動して行ったかつての仲間たちが、その移動先で自分らしく輝いて生きているのを見ると、とても嬉しい気持ちになる。

 

居場所を正しく見つけることは本当に大事。

 

 

そしてもう一つ最近思うこと。

 

これもコミュニティなどで度々耳にするのだけど、「あの人ペラペラだよね」という謎の発言を聞くことがとても増えた。

 

 

ペラペラというのは、中身がなくて薄っぺらい人間のことらしい。

 

でも私に言わせれば、中身のないペラペラの人間なんて存在しない。

 


これは自己受容が出来るようになると、この感覚がハッキリわかると思う。

 

逆に言えば、他者を「あの人本当にペラペラだよね」と言っている人は、自己受容が出来ていない証拠。

 


どんな人でもありのままの姿で、そのままで等しく価値があるということが本当に腑に落ちると、人に対してペラペラとか中身がないという感覚は一切なくなる。

 

なので「あの人本当に薄っぺらいよね」とか言っている人を見ると、「あー、この人自己受容が出来ていない人なんだな」と思って、逆に残念な気持ちになります。

 


ペラペラとかいう言葉を使う人は、人を付加価値で見ている証拠だから。

 

これってどんな人でも一緒ですよ。

 

 

後天的に身に着けた付加価値を全て取り除けば、人間なんてどんな人も大差ないですから。

 

生まれたての赤ちゃんに「この子中身が何にもなくてペラペラだよね」なんて言わないでしょう?

 

 

何も出来ないのに、ただそこにいるだけで存在を受容されている。

 

まさにその感覚は大人になってもずっと必要なんです。

 


この「自己受容」というのは、内観では最も重要な要素なので、常に意識しておいてください。