昨日、諦めの記事を書いていて思った。
私にとって諦めは美学だったんだなと。
所詮、諦めることはただの利得であり、メリットがあるからやっていただけなのに、私は自分を庇いたいがために、諦めを美学と定義しようとしていた。
適切に諦めることによって、むしろ人生は良くなるのだと。
しかし昨日も書いたけれど、諦めを選択してしまったら、自分の人生がその諦めたものに乗っ取られてしまう。
諦めたら、その諦めた人生がこの先もずっと続いてしまう。
そうしていつしか、その諦め癖が自分の人生を作り、諦めの人生から抜け出せなくなってしまう。
一切抵抗しなければ怪我をしなくて済むあの感覚と同じように。
私は実に40年かかって諦めの人生から抜けた。
母親を乗り越えたのだ。
実に清々しくて最高の気分だ。
もう二度と諦めは選択しない。
「僕は死にません!あなたが好きだから!!」と本気で叫べば、その思いは絶対に届く。
人生は101回目のプロポーズだ。