連日恩人の動画を見て、すっかり疲弊してしまったちょこです、どうもこんばんは。
私はこの6年間で相当数の精神が病んだ人を見てきたので、正直耐性はあると思ってたんですが、さすがに薬物で限界まで行ってしまった人はダメでしたね。
これまで数えきれないほどの内観セミナーやグループカウンセリングや心理ワークなどに参加してきて、それこそ精神科の閉鎖病棟に8回入院していた人とか、ここではとても書けないようなえげつないレベルの試練を何度も経験してきた人など。
とにかく、話を聞いただけで血の気が引くような病んでいる人を数百人単位で見てきたので、正直もう余裕だと思ってたんですよね。
でも全然余裕ではありませんでした。
正直、今回が一番辛いですね。
何より恩人の変わり果てた姿を直視するのが本当にしんどいのです。
想像を遥かに超えていたから。
逆に言えば、あんな状態になっている人間の姿をリアルタイムで見れることが貴重なのかもしれませんが、もうここまでくると全く笑えないですしね。
で、今日はそんな私の愚痴はさておき、転落した人や破滅した人を見た時に絶対に使わない方がいい言葉があります。
それが、
・自分はあんな人みたいになりたくない
・自分はあんな風に地に堕ちたくない
・自分はあんな人生を送りたくない
的なやつです。
これらの言葉は「嫌なことを回避したい」という前提が含まれるので、こういう言葉を使っていると脳の苦痛系が動いて、自分自身もダメージを負います。
そして何よりこんなことを思っていると、自分もそういう人間になってしまうのです。
例えば反面教師という言葉がありますが、子供の頃に「お父さんみたいになりたくない」「お母さんにみたいになりたくない」と思っていると、あら不思議。
自分も大人になったら、お父さんやお母さんにそっくりな人間になっているんですよね。
あんな人にはなりたくないと思えば思うほど、自分もあんな人になってしまう。
脳にはこういう法則があるので、自分はあんな人みたいになりたくないという言葉は一切使わないこと。
もし、人生転落してもがき苦しんでいる人がいたら、そういう人を見て「自分だけはあんな風にならないぞ」という思考を無意識にしないように気を付けてみてください。
かといって、そういう人を応援したり味方になるなんてことも出来ないでしょうから、そういう人を見ても何も反応しないのがベスト。
間違っても「明日は我が身かもしれない」なんて言葉はもっと辞めてくださいね。
人の不幸を見た時、明日は我が身だなんて言っていると、本当にそういう現実を引き寄せますから。