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付加価値の亡者

金の亡者と言うけれど、お金に執着して、お金を稼ぐことだけに人生を捧げてしまう人は、父親との関係に問題がある人が多い。

 

お金=愛情

 

であり、特にお金というのは父親との愛着を示していると言われている。

 

 

お金を追い求める傾向のある人は、必死にお金を追い求めるその裏で、実はお父さんへの愛情を求めている。

 

だから、自分の父親との関係が改善し、「私はお父さんから愛されていた」という事が腑に落ちると、お金への渇望はなくなる。

 

 

そして世の中には、お金だけではなく実に色々な亡者がいて、私なんかは付加価値の亡者だった。

 

私は自分の無価値感を埋めるために、ひたすら付加価値をつけることだけを追い求めた。

 

 

神様のような完成された人間になることに取り憑かれ、万能感や全知全能にひたすら憧れた。

 

そのために、この世に存在する全ての知識や情報やスキルを自分のものにしたいと必死になった。

 

 

これは、心理構造としては金の亡者と全く同じで、求めているものがお金ではないだけだ。


そして、お金というのは傍から見て取り憑かれていることが分かりやすいけれど、それ以外の執着(亡者)というのは一見分かりづらくて本人も気付きにくい。

 


実際私も付加価値の亡者であったのに、それを「私はより良い人生を生きるために必要な努力をしている」と勘違いしていた。

 

その本質は、単に自分の無価値感を埋めたいだけであったのに。

 


だからその根っこは、お金に狂う人も、自分のコンプレックスを必死で埋めようとしている人も同じ。

 

お金に狂って人生転落すると言うけれど、私は必死で自分に価値を付け続けることに執着して人生が転落した。

 

 

そして見事に底まで落ちた。


だから、お金で人生が狂う人を決して笑えない。

 

 

どっちも一緒。

同じ穴の狢。


何で落ちたかの違いだけで、本質的に目指しているものがおかしいという点で、抱えている問題は変わらないからだ。

 


ただ私が救いだったのは、この事に40歳で気付けたこと。

 

これがもし50歳で気付いてたとしたら、もう確実に人生詰んでいたと思う。

 

 

それこそ、再起不能なくらいに。

 

まだ十分にやり直しが可能な年齢で気付けて本当に良かったと思う。

 

 

欲を言えば本当は20代で気付きたかったけど、あの頃の私は人の意見など全く聞かなかったし、それを聞く耳がないほどに、自分の無価値感を心底恥じていたから、結局「自分には価値がない」という呪いを解くには、40年という歳月がどうしても必要だったのだと思う。