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内観の記録。その他。

北海道おじさんとRED Chair

ここ最近、大泉洋さんの話題をブログに書いていたら、Youtubeが大泉さんの「RED Chair」の動画をおすすめに出してきまして。

 

面白そうだったので見てみたんですけどね。

 

 

これですよ!!


認知の歪みが限りなく少ない人の考え方、そして生き方。

 

期せずして、私が目指しているのは大泉さんのような生き方なのかもしれないなと思いました。

 

 

対談の中で何が一番印象深かったかというと、大泉さんのご両親は2人とも教師でとても優しかったこと。

 

そして、そんな温かい家庭で育った大泉さんも自分で家庭を持つと、結婚生活がとても楽しく幸せ、娘もかわいくて大切で仕方ないと素直に言えること。

 

 

親に愛されて育った人というのは、こんなにも真っ直ぐに育つのかとある意味衝撃でしたが(笑)、このブログを読んでいる方には、ぜひ「認知」という視点で大泉さんのトークを聞いて頂きたいのです。

 

本当に歪みが少なくて真っ直ぐなのがわかりますから。

 

 

こんなに聞いていて心地良いトークは久しぶりでした(^_^)

 

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主体性について

今日は、主体性について書いてみようと思います。

 

私は、母親が確固たる理想の教育像を持っていて、娘を自分の理想通りの人間に育てたいという意思がとても強かったので、主体性を発揮すると親から否定される環境で育ちました。

 

 

母親が望む理想の人間になるためのタスクを日々課され、それを消費するだけの毎日の中で、当然のように私の主体性はゼロだったのですが、

 


18歳で実家を出た時、今までずっと抑圧され続けていた反動で、

 

「やっとあのタスク地獄の日々から解放される!これからは自分で決めていいんだ!」

 

とやっと主体性を発揮出来るようになったと思っていました。

 


でも、主体的に生きているはずなのに全然幸せではなく、人生そのものはうまくいってはいるものの、心からの充足感や幸福感はあまり得られませんでした。

 


そうしているうち、40歳の時に倒れてしまい、強制的に足止めをされたことで自分の生き方を改めて見直した時、私が主体性だと思っていたものは実は主体性ではなかったことに気付き、5年前からやっと本当に主体的に生きることが出来るようになりました。

 


それまでの私は人に決められるのが嫌で、指図されるのが嫌で、命令されるのが嫌で、タスクを課されるのが嫌で、他人から支配されることを避けたいという前提から自分の人生が始まっていました。

 

支配されたくない、人の言うことを聞きたくない、それを避けるために自分で決めたい、自分で決めることこそが主体性だと勘違いしていたのですが、それは単なる支配からの回避であり、本当の主体性ではありませんでした。

 

 

何一つ自分で選べなかった子供時代。

 

本当の主体性とは?


どんな前提から始めれば真の主体性が持てるのだろうかという問いを考え続け、今ようやく主体的に生きられるようになりました。

 


随分遠回りをしてしまいましたが、40代にしてやっと自分の人生を生きているという感じがします。

 


ちなみに私と同じ環境で育った弟は今でも全く主体性がなく、「別に何でもいい。お姉ちゃん決めていいよ。」といつも言います。

 

弟も何とかしなくてはと思ってはいるのですが、他人は変えられないので、こちらは難儀しているところです(笑)

なぜの呪縛から離れてみる

自分と向き合う時「なぜ」と問う人がとても多いんだけれど、「なぜ」という問いかけ方では残念ながら、正しい答えは導き出せない。

 

プロのコンサルティングも、みんなクライアントに聞くのは「なぜ」。

 

みんな一回「なぜ」の呪縛から離れた方がいいと思う。

 


「なぜ」から始まる問いだと、例え千本ノックをやっても意味ないから。

 

例えばトヨタ自動車のように「なぜ」を使って問題の原因を把握するのは、製造業なら全然OKなんです。

 

 

でも人間はそうはいかない。

 

特に思い込み、刷り込み、信じ込みに気付き、それをやめるには問いかけ方が本当に重要なんです。

 

 

「なぜ」から始めると本丸にはまず辿り着けません。


私がこの5年間で本当にお世話になった尊敬する先生方で、「なぜ」の問いを使っている人は一人もいませんでした。

 

みんな正しい脳の使い方を知っているからです。

 

 

私もそれを死ぬ気でやりましたが、それこそがまさに財産でした。


必死になって本気で人生を変えたいという人じゃないと、脳の深い所にアクセス出来る質問なんて、普通は知らなくて当然だからです。

 


近いうちに正しい問いの立て方、その使い方、自分への質問分の作り方、思い込みの気付き方など、ブログで公開します。

 

正しい問いの立て方、質問のクオリティを上げる方法、どう問いかけたら思い込みに気付けるのかなどは、本当によく聞かれる質問だからです。

 

 

ただし本気じゃない人は、中途半端にやると現状が悪化しますので、本気の人だけ読める形にします。


潜在意識に直接働きかけるような深い質問を繰り返すと、ホメオスタシスによって身体反応や心理的抵抗が出るので、それらを乗り越えてなお、愚直に実践出来る人にだけ届けばいいなと思っています。

笑ってその手離さない

前回の記事で、テレビに大泉洋さんが出ていて、地味にダメージを受けた話をしましたが。

 

あれからずっと、心の中にある違和感を探っていたのですが、そこで気付いたんです。

 

歌を聞きながら涙が出てきた本当の理由に。

 

 

それは、、、

 

 

罪悪感

 

 

好きとか嫌いとか、気持ちの整理が出来たとか出来てないとかではなく、私はずっと罪悪感を抱えていたことに気付きました。

 

 

でもそれは、とても素敵なパートナーだった元夫に「別れたい」と自分から言ってしまった罪悪感、元夫を傷つけてしまった罪悪感ではないんです。

 

 

そのもっと前からある重たいもの。

 

それが何かはまだ思い出せないけれど、子供の頃からずっとある罪悪感。

 

 

この正体は何?

一体どこから来ている?

 

 

大泉さんの歌の歌詞の中に、

 

「本当はお互い分かっていたんだ
これが最後になるって

それでもいつか もう一度会えたら
笑ってその手離さない」

 

ってところがあって、いつもここで涙腺が崩壊するんですよね。

 

 

絶対に離してはいけない手を離した瞬間。

 

二度と会えなくなった誰か。

それに関連する出来事。

 

もう全く思い出せません。

 

 

でもこれだけは言える。

 

罪悪感を持っているうちは幸せにはなれない。

 

だから引き続き、この問題と向き合います。

 

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あの空に立つ塔のように

昨夜NHKの「ライブエール」という歌番組を見ていたら、不意打ちで大泉洋さんが出てきまして。

 

私は、ゆず目的でこの番組を見ていたのですが、完全に油断していただけに、急に画面に現れた大泉洋さんに動揺して、ずっと心がざわざわしていたんですね。

 

 

おかしいな。

何で今日はこんなに反応するんだろう?

 

と思いつつ、「気のせいだ」「きっと気のせいに違いない」と心を静める。

 

 

実は私にとって大泉洋さんは特別な人なのです。

 

何故なら、私の別れた元夫にそっくりだから。

 

 

顔も体型も声も動き方も性格も、とにかく全部似ている。

 

あれ?

 

私がかつて結婚していたのは、大泉洋さんだったのかな?と勘違いしてしまうほどに、本当にそっくりなのです。

 

 

当たり前ですが、普段生活をしていて、元夫のことを思い出す日なんて一日もありません。

 

未練のようなものも、未だに好きという気持ちも全く持っていません。

 

 

気持ちとしては、過去に私と夫婦だった人。

 

それ以上の気持ちは全くなかったのですが、昨夜は何故か心がずっと反応し、テレビを見ているうちに涙が出てきたのです。

 

 

うーん。。。

 

最近、愛着の問題を熱心に内観しているから、そのせいかな。

 

私の中で終わったと思っていた過去の出来事が、また完全に終わってはいないのかな。

 

 

と、切ない気持ちになりつつ、「マツケンサンバ」で笑いを取ろうと必死にふざけている姿までそっくりで、最後には「何でこんなに似てるんだよ!!」と怒りの気持ちまで湧いてきたのです。

 

根が深いなぁ。

 

 

世の中には自分に似てる人が最低3人はいるっていうけど、ここまで似てなくても良くない?(笑)

 

歌はあんまり上手じゃなかったけど、気持ちを込めて丁寧に歌う姿までそっくりでした。

 

 

でも、心が反応したということは何かあるはずなので、また引き続き内観します。