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内観の記録。その他。

スキゾイド気質のわかりやすい事例

最近、「これぞスキゾイドかも」というわかりやすい事例を見つけたので、シェアしたいと思います。

 

私は最近、美容に力を入れていて、バストアップを目指しているのですが、その先生としてフォローしているのが、“おっぱい番長”と呼ばれている朝井麗華さんなんですね。

 

 

麗華先生が好きで、毎日動画を見ながらバストアップに励んでいるのですが、それと並行して聴いているのが、「人生を整体するラジオ」という麗華先生の音声ラジオ。

 

で、そこで先日アップされた麗華先生の家族の話が実に衝撃的だったのです。

 

 

元々、随分変わった家族観をお持ちのようでしたが、この音声を聞いてビックリ!!

 

これ考え方が完全にスキゾイドじゃん・・・と思ったのです。

 

 

詳しくは音声を聴いてもらいたいのですが、自分もスキゾイドパーソナリティ障害、もしくはスキゾイド気質の方であれば、麗華先生の家族観に激しく共感するでしょうし、

 

スキゾイドの実態がよくわからない人にとっては、うわぁ!スキゾイドってこんな感じなんだ・・・と思うと思います。

 

 

ちなみに、以前の私だったらこの音声の内容に激しく共感して、わかるわかる!と思っていたと思います。

 

 

特に行方不明になった弟さんの話。

そして、別居婚スタイルの話。

 

誰に対しても、何に対しても無関心で、出来るだけ他者と関わろうとしない話。

 

 

でも今の私は、正直聴いてどう思うかと言えば、これはやはり異常だと感じるし、スキゾイドって知れば知るほど、本当に人として果てしなく人格が歪んでいるなということを痛感せざるを得ないわけです。

 

 

当然、スキゾイドを抜けつつある今の私は、この音声の内容に一切共感することは出来ません(笑)

 

麗華先生は、「ドライ」という表現をしていますが、これはドライではなく異常です。

 

 

もちろん、麗華先生やご家族の方がスキゾイドだと言っているわけではありません。

 

この音声の中で話されている内容が、まさに私がずっと持っていた感覚であり、私もずっと麗華先生のご家族と同じような感覚で生きていたということを伝えたかったので、そういう意味で参考資料としてシェアしてみました。

 

 

要するに、スキゾイドの私がこの音声を聴いて、「このご家族全員スキゾイドっぽいな」と素直に感じたということです。

 

スキゾイド気質を持っている人には、とてもわかりやすい事例だと思うし、自分もこの感覚あるなぁと思う人もいると思います。

 

 

それでは、音声は以下からお聴きください。

 

voicy.jp

 

登録やログインなどしなくても、再生ボタンを押せばそのまま聴けますので是非。

本当の自立とは

本当の自立とは確固たる自己がありながらも、他人を必要とし、助け合えること。

 

一人で何でも完結できることは自立ではない。

 

結婚した時に思ったんだよ。

他人と共同生活が出来てこそ、本当の自立だって。

 

 

そして「何でも一人で出来なければいけない」というのも親の呪いであり、やはり人生を狂わす。

 

 

子供の頃に、協調性を養えないまま大人になった人間は、だいたい人生を詰む。

 

どこにも自分の居場所はなく、自分の付加価値だけで存在理由を作り、社会に何とか溶け込もうとしても、常にどこか冷めた自分がいる。

 


逆に一見甘やかされたように見えても、協調性がちゃんと育まれた人間は、上手に人の助けを借りながら最後まで幸せに暮らす。

 

一人で何でも出来る能力があっても、決して幸せにはならない。

 

協調性のなさと愛着の問題が、時に人を絶望にまで落とす。

 

 

自分の付加価値で作ったコミュニティや居場所などは、すべて偽り。

 

本当の自分、素の自分でいられる居場所を見つけられなければ、人は幸せにはならない。

 

 

(ここで言う付加価値とは、スキルとか能力とか本来の自分に後からプラスされた、努力で得たもののこと。)

 

 

長年パートナーが出来ないというのも、結局本当の自分をさらけ出せないからに他ならない。

 

親の呪縛はすべての価値観と目を曇らすから、いつかどこかのタイミングで外さないと、一生を棒に振ってしまうと心から思う。

お正月に倒れました

明けましておめでとうございます。

 

1月1日、今日からまた気持ちも新たに頑張るぞと思っていたら、夜になって持病の発作が悪化し、なんと倒れてしまいました。

 

 

「うわー!お正月の病院がやっていない時に、わざわざ倒れるなんて、今年はなんて年なんだ。」と一瞬思いましたが、具合が悪すぎて、頭が全く回りません。

 

元日の夜にこのままだと死ぬかも?という恐怖に襲われ、何度か救急車を呼ぼうとしたのですが、結局翌日まで耐え、2日に離れて住む実家の家族にお願いをして、病院に連れて行ってくれないか頼んでみました。

 

 

電話をしたのは朝の7時。

 

すると親からこう言われます。

 

「今吞んでるから無理」

 

 

え?もうお酒飲んでる??

 

両親とも新年会と称した宴会で完全にパリピモードで、お正月くらい朝から吞まなきゃ!とか張り切っています。

 

 

あー、そうだった。

 

うちの両親は宴会大好きパリピ人間だった。

 

お正月こそ本領発揮するんだった。

 

 

こんな時に期待した自分が悪かった。

 

なんて事だ。

 

 

しかし、こっちは必死です。

 

自力で歩けるレベルではなく、本当に危機的状況で具合が悪い。

 

 

なので、何とか助けてくれないかお願いをしてみました。

 

すると返ってきた答えが、

 

 

自力で病院に行け

 

 

冷たくそう言われ、電話を切られました。

 

その時です。

 

 

ずっと心の中に溜まっていた過去の抑圧した感情が一気に噴き出してきたのです。

 

 

両親はいつも肝心な時にお酒を飲んで酔っ払っていて、何の役にも立たない。

 

子供が辛い時でも何も助けてくれない。

 

いつも私に対して冷たい。

 

 

どうせ自分は粗末な扱いしかされないんだ。

 

誰からも大切にされない。
肝心な時に無視される。

 

どうせ自分には価値がないんだ。

 

だから冷たくされるんだ。

 

 


本当に傍にいて欲しい時に、誰も傍にいてくれない。

 

そんなお父さんもお母さんも大嫌いだ。

 

 

そうしているうち、小さな頃の記憶を思い出し、いつも私や弟が病気になったり発作を起こした時は、近所のご夫婦が助けてくれていたことを思い出したのです。

 

 

両親は子供のことなんてどうでもいい。

 

参観日も運動会も来てくれない。

 

学校の卒業式には嫌々来て、先生と喧嘩した。

 

 

そうか、私の存在なんてどうでもいいんだ。

 

きっと私は親から嫌われているんだ。

 

愛されてないんだ。

 

 

そうして意識が朦朧とする中で、重要なことに気付くわけです。

 

そうです。

 

その裏側にある強烈な思い込みです。

 

 

お正月早々、病気で倒れる

動けないので家族に助けを求める

全員酔っ払っていて助けを拒否される

 

 

この流れは、自分で意図的に起こしたんだなと気付いたのです。

 

自分の存在意義を確認するために。

 

この負の感情を一度全部出す必要があったのです。

 

 

この出来事の裏側にあった子供の頃からのある記憶。

 

これを処理するために、脳が意図的に仕掛けてきたことに気付き、お正月早々やってくれたなぁと思いました(笑)

 

 

その後、しばらくして体調が少し落ち着いたタイミングで何とか自力で病院に行きましたが、奇跡的に家から車で3分のところにある内科が当番医だったので、運よく駆け込むことが出来ました。

 

 

病院が休みの時に、わざわざ体調を崩して当番医に行く試練。

 

思い込みが外れる時は、必ずこうした象徴的な出来事が起こります。

 


そして、これも全部意味があって起きている出来事なんだと気付くと、そこでまた一つ認知が変わるのです。

 

今回の体調不良はさすがに辛かったけど、ここでまた大きなデトックスが一つ出来たので、とても意味のある出来事でした。

 

病気というのは目的があって、何かを知らせたくて起きていることがほとんどです。

 

 

それは私の場合、子供が病気でも自宅に人を集めて盛大に新年会をやって、子供のことはいつも放置していた両親との過去の記憶がまさにそれでした。

 

本当に悲しかった。

助けて欲しかった。

 

 

でもそれと同時に、以前は親にすら助けを求めなかった自分が、素直に両親に助けて欲しいと言えたことは、とても大きな変化でもありました。


スキゾイドの基本姿勢は、常に放っておいてくれ、私と関わらないでくれなので、他人に助けを求めることは皆無だからです。

 

 

この歳になって、やっと他人にお願いをしたり、助けてもらうことに抵抗がなくなりました。

 

以前は病院に行くことも嫌でしたが、今はすぐに病院に行きます。

 

他人に迷惑をかけてはいけない

 

この思い込みを以前外したからです。

 

 

自分と向き合う覚悟を決めると、好転反応なんていうレベルではない試練が次々に起きてくるので、覚悟がない人、中途半端な気持ちの人は人格の矯正なんて、本当にやらない方がいいですよ。

 

認知の歪みを取るというのは、それ相応の痛みや苦しみ、絶望を伴うものなので。

 

 

それともう一つ。

 

今回の件で、元々私が抱えていた病気の問題が、根本的に改善しそうです。

 

 

今まで解決方法がないと思っていましたが、今回倒れたことで、根本から完全に治るかもしれないものを見つけました。

 

きっとそのために今回の試練があったのかもしれません。

 

 

ということで、お正月に起きた一つの体験でした。

究極の親子逆転劇

つい最近、2連続でキレる出来事があった。

 

先月、母親から連絡が来て「新年に新しいお財布買うんでしょ。島田秀平さんが、金運を上げるには緑の財布を持ちなさい。」って言ってたから、あなたも今年は緑の財布を買いなさいと言ってきた。

 


もう私側は、親の呪いは解けているので、「またこいつ支配してきやがった」と思った。

 

当然私の返事は「お母さん、いちいちうるさいよ。自分の事は自分で決めるから、勝手に指図したり命令するのはやめて。」


と、ハッキリとした口調で言い返した。

 

 

2年前と違って、そこにもう怖さはない。

 

心の中で「こいつ本当に鬱陶しいな。もう永遠にどこかに消えてくれ。」と思いつつ、極めて冷酷な態度で、母親の言う事を全否定した。(鬱陶しいという感情を素直に出すことがとても大事!)

 

 

だいたい、新年に新しい財布を買うべきと決めつけたうえで話をしてくるところが、超絶イラっとする。

 


その数日後。

 

勝手に私のマンションに何のアポもなく訪れ、冷蔵庫を開けていきなりこう言い放った。

 

「あんた何で消費期限が切れた食べ物置いてるの。こんなの食べたらお腹壊すんだから、今すぐ捨てなさい。」

 


また来た。

何でいちいち命令するんだよ。


消費期限が、たった数日切れたくらいで死にはしないよ。

 

 

私はパッケージに書かれた日付よりも、自分の鼻と舌を信用するんだ。

 

だいたい何でお腹を壊すという前提で物を言ってくるんだよ。

 

 

自分のことは自分で決める。

いちいち口出しするな。


と、またお母さんにキレた。

 


私たちの間では、この親子の会話パターンはいつもの事で、子供の頃は母親の言う事に素直に従っていたから、私が服従さえすれば、それで母親の欲求は満たされていた。

 

 

しかし今は違う。


何なら、母親が完全に喋り終わる前に「もう、お母さんうるさいよ。自分の事は自分で決めるから、いちいち余計なこと言わないで。」

 

と私がすぐに怒り出すので、母親はついに私を支配出来なくなった。

 

 


すると面白い事が起きた。


母親が子供を支配することを諦めるという世界にすっぽりと落ちたのだ。

 

 

ん?

この感覚知ってるぞ。。。

 


あ!!!!!!!!!!!!!

 


私が子供の頃から、ずっと住み続けたあの諦めの世界だ。

 

何一つ自分の思い通りにならなくて、それならもういいやと全部諦めていたあの世界だ。

 

 

母親との直接対決を繰り返しているうちに、何と母親がかつて私がいたあの諦めの世界に完全に入り込んでしまったのだ。

 

子供の頃の私には人権などなく、何一つ自由になるものもなく、全てを我慢して全てを諦めていた日々。

 

 

でも今度は、母親が自分の子供を何一つ思い通りに動かせないというジレンマの中で、支配を諦めるという闇に落ちていったのだ。


何て面白い現象なんだ(笑)

 


ついに親子が逆転して、母親の方が諦めのゾーンに入ってしまったのだ。

 

子供の支配を諦めるという謎のゾーン。

 

 

まさに究極の親子逆転劇だ。

 

ここに来て立場が逆転し、今度は母親が諦めのゾーンで苦しむ様子を見て、私は素直にこう思った。

 


ざまあみろ

 


これだけを聞いたら、もの凄く性格が悪く聞こえるかもしれない。

 

 

でもずっと苦しんできた私は、

 

「どうだその世界の居心地は。全て諦める気分は最高だろ?ずっとそこに居たいと思うか?私は40年もの間、その世界にいたんだぞ。その原因は全てお母さんだ。」

 

 

そう思って、色々な感情が噴き出すとともに、相手の立場に立って物事を考えることの大切さを、再度学んでいた。

 

(自分と同じように相手も苦しめばいいという思考は健全ではないので好きではないが、今は感情を素直に出すことが最も重要なので、余計な考えや理性は一旦捨てて、全ての感情を出すようにしている。)

 


まさかこんな体験をするとは思わなかったけれど、これも諦めずに自分と向き合い続けてきたからこそ。

 

 

そして、これだけ出してもまだある怒りと恨み。

 

子供の頃の自分が小さい体でどれだけ我慢していたかが分かって、一気に悲しくなった。

 

 

そうして今は、私が子供の頃にいたあの諦めの世界に、母親が入っている。

 

これで今度は、本当に要塞が崩れるかもしれない。

 


あと少しだ。

 

散々子供を利用し、それで生き延びてきた母親に対し、今は怒りと恨みしかないが、

ここを越えたらようやく親を許すというステージに行けるのだと思う。

 

 

今まで支配で保ってきた人生を崩されるのは、母親にとってもキツイだろうな。

 

元々私は素直で優しい性格なので、つい母親に対しても変な情が湧きそうになるが、かわいそうなのはどちらも同じ。

 

 

ここまでくると、加害者も被害者もない。

 

親の呪縛を解くというステージにおいては、親子は運命共同体だ。

Desperado

40歳を過ぎて、自分の人生を「何でこんな事になったのか」という形で振り返るなんて、全く想像もしていなかった。

 

 

「Desperado」

 

20代前半の頃、私の愛用ウォークマンには、いつもこの曲が入っており、何とも言えない寂寥感のあるこの曲が大好きだった。

 

 

当時は、こういう生き方こそ正義なんだと、ずっと社会に背を向け、一人で孤独に生きる人生を肯定していた。

 

そして、「Desperado」の歌詞の世界こそ、最も美しい理想の生き方だと勘違いをしていた。

 

 

しかし、そんな私をたくさんの友人や仲間たちが、「君のいる場所はそっちじゃないぞ」と手を引っ張り、何度も現実世界に引き戻した。


あれから月日が経ち、改めて歌詞をちゃんと読んでみて、私はひっくり返った。

 


「人や社会に背を向けるような生き方するなよ。

もっと愛情深く、楽しく生きていけよ。

お前の気持ちもわかるけどさ。」

 

 

まるで、イーグルスが私のために書いてくれた曲ではないか(笑)

 

 

この歌詞こそ、まさに私の生き様そのものであり、私の生き方を端的に表している曲であり、

 

そして私と同じように、俗世間から離れて一匹狼で生きる人のテーマ曲なのではないかと感じている。

 


You better let somebody love you.
Before it's too late.

 


最後の「手遅れになってしまう前に」

 

この一文の意味が分かる人とは、きっと話が合うと思う(笑)

 

 

私は幸い、手遅れになる前に、Desperadoの世界から抜け出すことが出来、蘇生した。

 


今もし、昔の私と同じように、このDesperadoの世界で生きようとする人がいたら、

 

たとえ余計なお世話だと言われようとも、

 

「おーい!そっちないぞ。こっちだぞー!」と声を掛けると思う。

 


昔、私が友達や仲間に声を掛けて救ってもらったように。

 

 

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「君は何者なんだ?」と聞かれたら、「Desperado」の歌詞を読んでくれ。

 

それが答えだと、昔の私なら言っただろう。

 

 

人生は振り返った時に、初めて理解できるようになっていると言った哲学者がいたが、自分のいた世界というのは、抜けてみて初めて気付くものなのだと痛感した。

 

そして私は、この歌詞の世界には二度と戻らない。

 

Desperado Eagles 日本語 歌詞 和訳 | ティモシーDiary

 

たくさんの和訳があり、歌詞の解釈も人それぞれだけど、この曲を作ったドン・ヘンリーグレン・フライは天才だと思う。

 

 

そして、この曲の歌詞は本当にスキゾイドの生き方そのものなので、個人的にはこの曲のタイトルを「Schizoid」に変えたいと思っている(笑)