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内観の記録。その他。

自分がこの世からいなくなる

ある日、友人に言われた。

 

ちょこは、賢くていつもスマートに物事が考えられて、勉強も仕事も何をやらせてもすぐに結果を出して優秀で。


何にも動じない強さがあって、羨ましいと。

 

 

そうだね。

そう見えるかもね。

 

でもそれはね、そうじゃないと、そうしないと、そう生きないと、お母さんに認められないとずっと思っていたんだ。


私はその生き方をお母さんのためにやっていたんだ。

 

 

だからそれは本当の私じゃない。

 

友人は大層驚いていたが、こう続けた。

 

でも、努力で作った自分だとしても、それで今までちゃんと生きてきたんだから、それって凄いことだよ。

 


そうかもね。


でも、偽物の自分で生きても、人は幸せにはなれないんだ。

 

お母さんのために生きた人生の先に何があると思う?

 

「自分がこの世からいなくなるってことだよ。」

 

 

自分が何をしたいのか、何が楽しいのか、何のために生きてるのか、何もわからなくなるんだ。

 

そのうち感情もなくなって、自分を守るためだけに生きるようになる。

 

 

面倒なことはすべて回避して、自分の世界だけ安全なら、それで良くなるんだ。

 

この世界を客観的に見てどう思う?

 

不幸だね。

 

 

私はその不幸な世界から、人生41年目にしてやっと抜け出すことが出来た。

 

友人は言った。

 

私は都合の悪いことは全部なかったことにする癖があるから、ちょこみたいに深い内観は無理だな。

 

 

私はすかさず続けた。

 

過去の記憶は大切な自分の一部だから、なかったことにしたらダメだよ。

 

それをしたら、自分が存在しなかったことになっちゃうよ。

 

 

中学3年生からずっと仲良しで、お互いの親も知っている唯一の友達。

 

私は自分の殻に頑なに閉じこもり、友人はわかりやすく宗教にハマった。

 

 

どんな生き方をしてもいい。

 

ただ、自分の存在だけはこの世から消してはいけない。

許すということ

人を許せないのは、その時にちゃんと怒れなかった、本音を言えなかった、我慢してしまった、相手を責めれなかった。


その情けない過去の自分に対して、怒っているんだなと気付いた。


そして、いつしかそれが恨みに変わり、許せない感情として残り続ける。

 


でも、その時は怒るのが怖かったし、揉めるのが怖かったし、ハッキリ言ったら大変なことが起きるんじゃないかと思っていた。

 

だから何も言えなかった。

 


人を許せないというのは、結局自分が許せない、あの時嫌だとハッキリ言えなかった自分が許せないだけ。

 

許すとは、相手を通して自分を許すことなんだなぁと。

 

 

お母さんに支配されていた時、本当は嫌だと言いたかった。

 

これなら、児童養護施設で育った方がよっぽどマシだったのではないかと何度も思った。

 

 

家から締め出されたり、置き去りにされた時、来てくれた警察官に、本当は「助けて!」と言いたかった。

 

本当に許せなかったのは、お母さんじゃなくて、自分の気持ちを正直に言えなかった過去の自分。

 

全ての感情に蓋をして、平気なフリをしていた自分。

 

 

きっとあの時、本当はこの世からもう消えてしまいたかった。

 

スキゾイドちゃんは、私を救ってくれた。

 

人は感情を消したら淡々と生きていけることを、スキゾイドちゃんが教えてくれたから。

全然楽しくない

人格が歪んでしまうと、友達と遊ぶ、恋人とデートをする、みんなと旅行に行く、季節のイベントを楽しむ、結婚して家庭を持つ、SNSで交流をする。

 

こんな事すら普通に出来ない苦しみを背負ってしまう。

 

常に葛藤がついて回る人生。

 

全然楽しくない。

幸せじゃない。

乖離と分離と統合

生きやすい社会なんて、この世には存在しない気がする。

 

働きアリの法則でもそうだけど、どれだけ快適な空間に自分を分離させても、必ず一定数変なものは混ざる。

 

そして分離は人を不幸にする。

 

いつだって、目指すべきは統合であると思う。

 

 

自分にとって都合の悪いものを分離させ、切り離そうとする思考が、社会をより悪化させる。

 

一個人で考えればわかる。

分離とは統合失調症

 

自分が乖離した状態で、人は幸せにはなれない。

 

 

唯一生きやすい社会があるとすれば、それは自分の妄想の中だけだと思う。

 

過去、誰よりも社会と隔絶し分離し、孤独を好み、統合と乖離を繰り返した私だからこそ、わかることがある。

 

分離した先にあるのは、幸福ではない。

実際に体験したから間違いない。

 

 

人格障害が治る瞬間というのは、分離、乖離していたものが元に戻って統合するということ。

 

本当の自分と偽りの自分が手を繋ぐということ。

 

社会であれば、善と悪が中庸に統合されるということ。

 

 

これが難しいからこそ、人はその間で苦しんでいるのだと思う。

人を支配する交渉カード

私の大好きな与沢翼さんの今日アップされた動画を見て、あまりに図星な内容に一瞬で体が固まってしまいました。

 

動画の内容は、与沢さんが夫婦円満に至るまでに、奥様にしてきた態度について。

 

youtu.be

 

与沢さんのお話の中で、私の心が激しく反応したのは以下の部分。

 

「交渉カードとして、自分の言うことを聞かせたいから、キツイ言葉を言っていた。

 

弱い存在に対して、圧力というか交渉をして、言うことを聞けと。

 

相手を否定する態度というのは、一番パワーバランスがおかしくなるし、相手の人格を蹂躙することになってしまう。

 

それをやられると、やられた方は立ち位置がなくなって、人として非常に不安定になってしまう。

 

だから「離婚したろか!」みたいな、最終カードを突き付ける脅しみたいなのは、一番やってはいけないと思っている。」

 

 

これってまさに、私が子供の頃に親にやられてきたこと、そのままなんですよね。

 

力でねじ伏せて、言うことを聞け!というのを、私は18歳までずっとやられてきました。

 

 

もちろん、実家を出てからも遠隔操作で、ずっと支配され続けてきたわけです。

 

与沢さんは「離婚」という言葉を切り札にしていたようですが、私の母が最終カードにしていたのは、

 

「言うことを聞かないなら、もうウチの子じゃないから出て行きなさい。」

 

これです。

 

 

そして実際に何度も家から締め出されたり、遠くに置き去りにされたりしました。

 

親に逆らったら捨てるぞ。

子供にとって、一番残酷な脅しです。

 

動画を見ていて、とても辛い気持ちになりました。

 

 

でも与沢さんが凄いのは、自分の過ちに気付いて反省し、それを修正したことです。

 

そしてもう二度と、そのような行為をやっていないことです。

 

 

この動画を、母親に見せたいと思いました。

 

私の母は、おばあちゃんになった今でも、子供に対する態度は全く変わっていません。

 

蹂躙された子供の苦しみなんて、一生わからないでしょう。

 

 

普通はこういう話ってオープンな場で、あまりしないと思います。

 

だからこそ、こういう内容を正直に話してくれた与沢さんは凄いなと思いました。

 

 

ちなみに与沢さんの奥様は、「旦那さんからされたことは絶対に忘れない。私は今でも根に持っている。」とおっしゃっていました。

 

そうなりますよね。

 

多分私も、母親からされた蹂躙行為をずっと根に持っています。

 

だって本当に辛かったし、完全な人権侵害だから。

 

 

与沢さんも言ってましたが、「自分がやられて嫌なことは人にはしない。」

 

これは幼稚園で3歳頃にみんな習うものだと思っていましたが、私の母親はそういう他人を思う気持ちが欠落していたようです。

 

負のループから抜け出すには、どちらかが正しい考えを持つこと。

 

 

母親が変わらないなら、私が変わります。

 

私は自分がされて嫌なことは、絶対に人にはしない。

 

こんな馬鹿げた毒親の負の連鎖なんて、私の代で永遠に抹消します。

 

 

そして、自分を変える努力をした人と、変わらずに死んでいく人の人生の質の差を、深く痛感しています。