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内観の記録。その他。

イケメン恐怖症

最近、LINEで懐かしい友人と再会したこともあり、毎日のように昔話で盛り上がっているのですが、そこで衝撃的な一言を耳にしました。

 

「ちょこって、イケメン好きだったよね。少年隊なら迷わずヒガシを選ぶよね!」

 

え?ちょっと待って。

 

私の記憶にある限り、私が面食いだった時代は一度もない。

 

 

それどころか、他人の見た目に一切興味がなく、もはや外見で人を判断したことは、一度たりともない。

 

なぜなら、そもそも興味がないからだ(笑)

 

なのになぜか、友人の間では私がイケメン好きということになっていた。

 

 

人のイメージって怖い。

勝手に作り上げられるんだ。

 

そして、なぜいつどこでそのイメージがついたのか探っていた時に、ふと気付いた。

 

私はむしろイケメン恐怖症だと。

 

 

イケメンに限らず美女も同じで、整った顔の人に強い恐怖を感じる。

 

特にミスコンなどは、まともに見ることも出来ず、なんとも言えない威圧感を感じる。

 

なんでだろう(;'∀')

 

 

この感覚がいつからあるのかわからないけれど、試しに「イケメン恐怖症」で検索してみると、私と同じ感覚を持っている人は、どうやら他にもいるらしい。

 

怖いということは当然そこに何かある。

 

そして、こういうくだらないことを探っている時に、意外と自分の中の重要な思い込みに気付いたりする。

 

 

ということで、今日の問いかけは「なぜイケメンが怖いのか」。

 

ちなみに私が過去にお付き合いをした方は、期せずして全員イケメンでしたが、私が選んだわけではなく、全て紹介で知り合っているので、決して私の好みではありません(笑)

 

個人的な好みとしては、バナナマンの日村さんが大好きで、ヒムケンの顔が世界一かっこいいと思っていますが、誰からも共感されません。

 

残念です( ;∀;)

40代は鬼門

起業当初から仲が良く、大変お世話になっていた方が、最近ドバイに移住しました。

 

ある日突然SNSを全てやめ、その後zoomライブで集まった時には、いきなり坊主頭で現れました。

 

 

え?何でいきなり坊主!?

 

 

でも、それがあまりにも似合っていたので、

 

「野球部みたいですね~」とか、

「修行僧みたいですね~」

 

と言って、みんなでからかって笑っていました。

 

 

しかし事態は結構深刻でした。

 

 

彼は独立起業して成功し、色々なビジネスを軌道に乗せ、ここ数年はシンガポールに家族で移住し、悠々自適な生活を送っていました。

 

高級コンドミニアムに住み、高級車を乗り回し、絵に描いたようなお金持ちライフを送っていたのです。

 

 

しかし頭を丸めた後、突然自分のお客さんに向かって、謝罪を始めました。

 

 

「僕は今まで自分をよく見せることに、意識を向けていました。

 

いい暮らしをして、お金持ちアピールをすることで、子供たちに夢を与えられると思っていた。

 

 

でも実際は違った。

 

お金を持てば持つほど、本当の自分と理想の自分がどんどん乖離し、俺は成功者だと情報発信をする一方で、その乖離のストレスを妻にぶつけ、毎日激しい夫婦喧嘩が絶えなかった。

 

 

俺は、自分に文句一つ言わずについてきてくれた嫁さんに、罵声を浴びせ、暴力をふるっていました。

 

表では、自由なライフスタイルを送る憧れのお金持ち。

 

なのに、裏では家族すら大切に出来ないダメ男。

 

 

そのギャップに耐えられなくなり、家族がバラバラになりました。

 

妻に心からの謝罪をして、もう一回ここから再出発をすることにしました。

 

もしこんな僕で良ければ、またついてきてください!!」

 

 

 

真摯な態度でそう話す彼の言葉に、全員が心を打たれていました。

 

決して他人事じゃない。

 

誰もがそう思っていました。

 

(だって本当の自分を全てさらけ出して、生きてる人なんてそうそういないから。)

 

 

彼は心機一転、シンガポールからドバイに移住し、これからは家族をちゃんと大切にし、投資家として新しい人生を歩んでいくと宣言しました。

 

 

そうか、良かった。

 

めでたしめでたし・・・。

 

ではないのです。

 

 

これ実は、一番やってはいけないパターンです。

 

自分を一切変えずに、外側の環境だけを変えて、自分が変わった気になる。

 

肝心の「自分」は全く変わっていません。

 

 

残念ながら、外側の環境だけをいくら変えても、起きる現象は全く変わりません。

 

多分彼は、ドバイに住み始めても、また奥さんと夫婦喧嘩をし、本当の自分と偽っている自分の間で、また苦しむことになるでしょう。

 

 

 

話を聞いたら、結婚当初からずっと喧嘩が絶えなかったとのこと。

 

何でそんなパートナーとずっと一緒にいるの?

 

そもそも、何で喧嘩になるの?

 

なぜ自分は奥さんに暴力を振るってしまうの?

 

 

そこを全く考えていません。

 

新しい土地に行って、環境が変われば全て解決だと思っている。

 

違うよ。

 

変えるべきなのは、その状況を生み出している自分です。

 

 

余計なお世話ながら、「その思考だと、また同じことになるんじゃないですか?先に内観した方がいいですよ。」とアドバイスさせてもらいました。

 

 

実はその方、凄く誠実で信頼もあって、本当に良い人なんです。

 

絶対に嘘はつかないし、お客さんを裏切るようなこともしない。

 

 

何をするにも慎重で、コツコツ努力して、今の地位まで着々と登りつめてきた人です。

 

ましてや実態がDV男だったなんて、誰も知らなかった。

 

 

そしてそれは、本当の自分を蔑ろにして、積み上げてきたものだった。

 

それは当然おかしくなりますよね。

 

 

で、不思議なことに、このズレというかしんどさみたいなものが、本当に見事に計ったように、40代に出てくるのです。(その彼も40代です)

 

 

臨床心理士さんが「心の問題は40代以降、表面化して深刻になる。」

 

と言っていましたが、大人の発達障害が問題になってくるのも40代以降です。

 

 

エリクソンのライフサイクル論でも、40歳以降の壮年期は「停滞」という、心理社会的危機に見舞われると言われていて、それを放置すると、65歳以上の老年期には、絶望に変わると言われています。

 

 

停滞からの絶望って最悪じゃないですか?(;'∀')


だからこそ、脳がこの時期にサインを出すんだと思います。

 

ちょっとあなた、生き方間違ってるよ!!

 

今ここで修正しないと、大変なことになるよって。

 

 

私も実際これに当てはまって、自分を立て直すことになりました。

 

 

今までちゃんと自分と向き合って、しっかり生きてきて、本当の自分で生きれている人は何の問題もなく、むしろ生き生きとしながら、楽しく40代以降も人生を送れると思います。

 

 

でもそうではなく、自分の生きる目的は何?と聞かれた時に即答できない人とか、

 

本当の自分と偽っている自分が乖離してしまっている人、何かしらの生きづらさを抱えている人は、要注意です。

 

 

今回の件で、私の大切な仲間が謝罪をする光景を見るというのはショックだったし、

 

でもその一方で、今までちゃんと生きてこなかった人は、やっぱりこの時期に見事に出るんだなと思いました。

 

 

 

40代、本当に鬼門ですよ(笑)

 

自分に嘘をついて生きてはいけない。

 

生きづらさを放置してはいけない。

 

本来の自分を取り戻さなくてはいけない。

 

 

サインが出た人はラッキーです。

 

 

何も気付かなければ、どんどん認知がおかしくなり、老後には幼稚園の子供の声がうるさいとか、

 

近所のお祭りの盆踊りの音楽がうるさいとか、除夜の鐘はやめろ、なんていうおかしな年寄りになります。

 

 

(これは全部、自分を放置した結果の認知の歪みです。根底には、大量の怒りと悲しみが抑圧されています。)

 

 

 

自分を誤魔化して生きた人の末路は、どこまでも悲惨です。

 

自分が抱えているしんどさを、周りに当たり散らすようになったら立派な老害です。

 

 

人の振り見て、、、じゃないけど、今回の件は本当に堪えました(^▽^;)


すごくお世話になっている人なので、どうか自分としっかり向き合って、家族をちゃんと幸せに導いて欲しいと願っています。

おばあちゃんの思い出

 

今朝のドラえもんSP「おばあちゃんの思い出」

 

大好きな作品だったのに、大切なものが全部なくなってしまっていた。

 

旧作では、おばあちゃんが登場した瞬間から涙腺が崩壊するのに、新作ではあの独特の空気感すべてが失われていた。

 

 

一番重要な公園での喧嘩シーンもごっそり無くなっていたし、

 

おばあちゃんがのび太のために、花火を探し回るシーンもほぼカット。

 

 

後世に残して欲しい名シーンほど、大人の事情によって削られていく現実。

 

大山のぶ代時代のドラえもんは、日本語をとことん大切にし、毎回言葉の繊細さを本当に細部までこだわって作っていたから、今それが無くなってしまったのは、とても残念に思う。

 

 

特に、おばあちゃんの思い出は、台詞の独特の間、おばあちゃんの声や佇まい、そして表情、のび太との接し方、ストーリー全体の哀愁などが、

 

子供にもはっきりと伝わる形で美しく描かれていただけに、それが一つも再現されていないのは、本当に残念だと思った。

 

 

今の子供たちにも、ぜひオリジナル版を見て欲しいな。

 

散々泣かされた後の、最後のトドメ。

 

「誰がのびちゃんの言うことを疑うものですか」

 

 

ここで涙する度に、ああ私はまだちゃんと人の心を持った人間なのだと再確認していたのだけど、

 

大切なものが全て削がれた作品には、正直何も感じなかった。

 

 

おばあちゃんの思い出

帰ってきたドラえもん

ぼくの生まれた日

 

これだけは、ストーリーを変えないで欲しいな。

 

 

私は、おばあちゃんにとても大切にされ、かわいがってもらったので、おばあちゃんの話にはとても弱い。

 

 

敬老の日にお小遣いで祖父母のために買った洋服。

 

プレゼントした翌日、

 

「ねぇ見てこれ、孫にもらったのよ~。」


と、嬉しそうに近所中に自慢して歩いていた。

 

 

「あんたの孫は優しくていいねぇ。」と言われると、

 

「そうなのよ。もうかわいくてねぇ。」

 

顔をシワくちゃにしながら、おばあちゃんはそう言っていた。

 

 

泣いちゃうよね。

 

ほんの短い間でも、私に愛情を注いでくれた人がいたから、私は今まで生きてこれたのかもしれない。

踊ろうセリョリータ

会社員時代、「マツケンサンバ」が流行り、 その年の忘年会で幹事が、

 

マツケンやりましょうよ!」と言い出し、みんなで「マツケンサンバ」を踊った。

 

 

どこで調達したか全く覚えていないキラキラの衣装を着て、みんなで派手に踊った。

 

地獄だった。

 

 

何が楽しいのかさっぱりわからなかった。

 

これも仕事のうちと思い、全ての感情を殺して完全無になって、私は会社員としての役目を義務として果たした。

 

 

でも今になって「マツケンサンバ」を見ると、こういうダンスが全力で楽しめたら、人生どんなに楽しいだろうと思う。

 

会社の忘年会で踊らされた嫌な思い出が、私も出来るようになったら楽しいだろうなぁ・・・という、前向きな記憶に変わりつつある。

 

 

こういう一見大きな問題と思わないような過去の出来事も、一つずつ丁寧に振り返り、そこに付随する感情を少しずつ解放していく。

 

どんなに小さなことでも、“嫌だった”というサインを見逃さないこと。

 

 

MVの3分30秒辺りのレコーディング風景で、マツケンの後ろで楽しそうに踊っているスタッフを見ると、涙が出る。

 

www.youtube.com

 

こんなふうに人生楽しめたら、最高の思い出を持ってあの世に帰れるよね。

 

 

と思っていたら、短いけど心に響く記事を見つけました。

 

nekosyakusi.cocolog-nifty.com

 

私はまさに、一歩引いて傍観しているだけの人生でした。

 

「踊る」と「見る」のバランスをこれからも追及していきます。