My Storage

内観の記録。その他。

本当に欲しかったもの

生きるとは自分で自分を育てる、自分で自分を教育し直すことなんだなと改めて思った。

 

子供の頃の悲惨で歪んだ教育から、自分を救い出せるのは自分しかいない。

 


3歳の頃、ドラえもんのおもちゃが欲しくて、母親に「ドラえもんが欲しいー!!」って何度も訴えたけど、

 

ドラえもんなんかいらないの!」


「あんたは未年生まれなんだから、ひつじさんにしなさい。」

 

と言われて買い与えられたのが、このひつじさんのぬいぐるみ。

 


笑顔で写真に写ってるけど、この笑顔の裏で本当に欲しかったものを私は封印した。

 

そしてその後、私は従順なひつじさんとして、自分の人生を生きた。

 


何でもかんでも欲しいと駄々をこねたわけではない。

 

私は一番欲しかったもの、たった一つだけを親に示した。


でも、それは叶わなかった。

 

そうして私は、常に一番欲しいものではなく、二番目に欲しい物を選ぶようになった。

 


ドラえもんじゃないけど、このひつじさんも友達だ。

 

そう思ってずっと大事にして、どこに行くにも一緒だった。

 


急に懐かしくなって母に、

 

「ねぇ、あのひつじさんのぬいぐるみどうした?」と聞いてみた。


「知らないわよ。あんたが自分で捨てたんじゃないの?」

 

大切な思い出を、自分の分身を捨てるバカがどこにいるかよ。

 


結局親であっても、所詮は他人だ。

 

自分の人生の責任はすべて自分でとる。

 

私は自分の責任で自分を救い出す。

 


3歳の頃の私が唯一救われること。

 

それは私が今、しっかりと自分の人生を生きること。

 

絶対に死なないこと。
諦めないこと。

 


何より大切なひつじさんを実家に放置し、自分の手元に置かなかったのも、自分の責任だ。

 

 

実はその後、本当に欲しいものを諦めて、健気にひつじさんと毎日遊んでいる私を見た祖母が母に、

 

「あんたいい加減にしなさいよ!」

ドラえもんくらい買ってあげなさい!」

 

と叱り、祖父が買いに行ってくれて、念願のドラえもんを手にしたのだけど。

 

 

まるで取ってつけたように買ってもらっても、全然嬉しくなかった。

 

そして私はこの日以来、「諦め」という高等なスキルを身につけ、決して逆らうことの出来ない母親という存在に100%服従することを決めた。

 

この家で何とか生き延びるために。

 

 

※ちなみにこの事は私の中で、「ドラえもん事件」と呼んでいて、この日以来、私は若干3歳にして諦めの境地への旅を始めることになる。

 

その諦めというものを悟った瞬間を、こんな風に写真に撮っていたのは父。

 

父は娘のこういう瞬間を絶対に見逃さない人だった。