3年前のある日、急に倒れて体が動かなくなり、それをきっかけに私は内観を始めました。
忘れもしない「海の日」でした。
7月になると、3年前の海の日を思い出します。
あの日を境に、私は着実に本当の自分を取り戻していきました。
正確には、海の日に倒れてから一年間は、倒れた原因が全くわからず、「身体表現性障害」という病名に辿り着くまでは、地獄の寝たきりの一年間を送っていました。
その後、認知行動療法をスタートしたので、自分を立て直すということを始めてからは、丸2年が経ったことになります。
そして今では、かなり本当の自分を取り戻しています。
本当の自分とは、親に「呪い」という名の制限をかけられる前の純粋な自分。
ずっと放置し、長年置き去りにしてきた自分。
君を救い出すために、私はあの日神様から大切な導きをもらったんだ。
だから、この機会を絶対無駄にはしないよ。
自分を救えるのは自分だけなんだから。
ずっとそう思っています。
世の中には、自分と向き合うことを避け、心理的に便利な何らかのラベルを貼って、どうにか自分を繋いでいる人たちもたくさんいます。
ここで言うラベルとは、パーソナリティ障害、発達障害、ADHD、HSP、社会不適合者、アダルトチルドレンなどの自分に都合の良いラベル。
確かにラベルは、自分を生きやすいように、うまくかばってくれるかもしれない。
でもそれは、本当の幸せとは程遠いことを知りました。
ラクなんだ。
「自分HSPなんで、人と関わりあうのは無理なんです。」とか言えたら、嫌なことを全部回避できるから。
で?
その先は??
それ一生やるの?
と今では思っています。
性質だから仕方がないというのは、生得的に元々人とは違う特性を持って生まれた人のことであって、後天的なものは少なくとも、生まれた時は正常だったんです。
私は普通の子として生まれた。
もちろん一部、生得的な歪みもあります。
でも、親に人生の主導権を渡したままで、制限をかけられたままで、このまま死ぬわけにはいかない。
しつこいでしょう(笑)
もう2年も内観をしていて、自分でも馬鹿なのかなって思います。
でもこれからも淡々と続けます。
今日の海の日は、3年前の自分に思いを馳せながら、静かに過ごしたいと思います。
最近、取り憑かれたようにヘビロテしている曲。
♪「この世に何をしに生まれてきたのかい?」
♪「生きる」
昔の自分だったら、きっとこういう歌は、聴くのを避けていたでしょう。
ひたすら認知行動療法を繰り返し、8割くらい自分を修正した後にやっと聴けるようになった曲。
「この世に何をしに生まれてきたのかい?」
最近ずっと、この問いかけばかりしています。