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内観の記録。その他。

人間以外の何かになる

今日の皆既月食&惑星食は本当に綺麗でした。

 

ずっと空を見上げ続けることで、頸椎捻挫になりそうなリスクと戦いながら、442年ぶりの天体ショーを楽しんでいました。

 

 

昔は一切興味のなかったことが、今はすべて美しい思い出になります。

 

生きてるって最高です(^^♪

 

 

さて、今日は衝撃的な言葉に出会いました。

 

人類学者アシュレー・モンタギューの本に書かれていた「愛情に触れられないで育った子は人間以外の何かになる」という言葉です。

 

 

昔の私がまさにそうでした。

 

人間以外の何かになりそうでした。

 

ずっとそうやって生きていました。

 

 

20代の頃は無の境地に憧れて、社会(俗なる世界)と隔絶しては「もう少しで神様になれそうだ!」なんて思っていました。

 

でも、今ならこう思います。

 

 

せっかく人間として生まれてきたのに、生きているうちに神様になんてなってどうするんだ。

 

もし死んであの世に行った時に、本物の神様の前で「私は今世、神様になってきました。」と本気で言うつもりなのか?と。

 

 

人間は所詮人間であり、それ以外の何かになることは出来ません。

 

人生43年目にして、やっと地に足がつきました。

 

 

悟りを開くのも一緒です。

 

死んだらあの世で毎日悟り状態なのに、何でわざわざ生かしてもらっているこの三次元の世界で悟りなんか開く必要があるんだ。

 

 

この世では、人間として肉体と精神を使って楽しめる面白いことがたくさんあるんだぞ、と。

 

そして私は、それを心から楽しめるようになりました。

 

 

もう二度と、悟りを開きたいなんて思わないし、神様に近づこうなんて思いません。

 

スキゾイドで統合失調的な症状がある人は、人間以外の何かに憧れる傾向があるようです。

 

 

神様とかオカルト的なもの、宇宙人、天使、不老不死など、俗なる世界とは真逆の方向に行こうとするようです。

 

神様に憧れたり、無の境地に行こうとするのも、一種の乖離症状です。

 

 

私は今はこれは完全に治りましたが、昔は随分危ないところにいたんだなと思いました。

 

本気で神様と一体化しようとしていた時期があったので(笑)

 

 

人間はどこまでいっても、ただの人間です。

 

俗なる世界から自分を切り離し、聖なる世界に惹きつけられるのは、幼少期に必要なだけの愛情を与えてもらえなかったこと(愛着障害)が原因です。

 

 

神様とか悟りとか無の境地とか馬鹿なこと言ってないで、自分の愛着の問題とちゃんと向き合いなさいという話です。

 

私も一つ一つ丁寧に自分を修復し、いつか死んであの世に行った時、「君は一体、あっちの世界で何をしてきたんだ。」と神様に言われないように、人間としての役割をしっかり果たして生きて行こうと思います。

優しい言葉が受け取れない

「今までよく頑張ったね」

「そのままのあなたでいいんだよ」

 

そんな優しい言葉を投げかけるカウンセラーが死ぬほど嫌い。

 

 

もし、こういうカウンセラーに当たったら、本音をズバっと言ってくれる厳しいカウンセラーに変えてくれ!とすぐに言う。

 

 

でも本当は気付いてる。

 

人格を極限までこじらせてしまった私に、本当に必要なのは癒やし。

 

 

優しい言葉が受け取れない。

 

厳しくされるタイプの愛情にしか慣れていない。

 

 

優しくされて、それを受け取って、涙を流したりしたら、なんか負けた気がする。

生きてるだけで丸儲け

「生きてるだけで丸儲け」とか、「健康でさえいてくれればいい」「元気でさえいてくれればいい」というタイプの思い込みは、実はとても怖いことに気付いた。

 

この手の思い込みがある人は、試練の多い人生になりやすい。

 

 

子供の頃に、別に勉強が出来なくても、スポーツが出来なくても、お友達と仲良く出来なくても、健康でさえいてくれればそれでいい、と親から言われたことのある人を観察していると、

 

なぜか難病になったり、事故に遭って大怪我をしたり、障害者になったり、借金まみれになったり、試練のような出来事が起きている人が多い。

 

 

でも、なぜそうなるのか、この言葉たちをよく考えてみればわかる。

 

「健康でさえいてくれれば」「元気でさえいてくれれば」

 

 

この言葉の裏にある本当の意味に気付くと、ゾッとする。

 

親が子供に絶対に言ってはいけない言葉だ。

 

 

実は私も、人生で3回死にかけていて、もはや生きてること自体が奇跡だと思っていた。

 

だからつい最近まで、「私がいま与えられてる時間は、神様からのおまけの時間だ」とか言って、それをわざわざプロフィールにも書いていた。

 

 

今気付くと、何て怖い事を書いていたのだろうと思う。

 

この思考はとても危険であることに気付いたので、すぐに辞めた。

 

気付けて良かった。

 

 

親は子供が元気でさえいてくれればと、つい思ってしまいがちだと思う。

 

 

同じように、

 

病気さえ治れば

体の不調さえ消えれば

この苦痛さえ取れれば

この食品さえ食べていれば

このルールさえ守っていれば

お金さえあれば

親さえ死ねば

結婚さえ出来れば

勉強さえ出来れば

このスキルさえ身につければ

 

という「~でさえ」という思考はとても危険で、より現状を悪化させる言葉たちだ。

 

 

他にも、「元気ですかー!!元気があれば何でも出来る。」という言葉も結構危ない。

 

つい「1、2、3、ダァ~ッ!!」とやりたくなるが(笑)、気合いが入るどころか、逆に病気になる。

 

 

親から刷り込まれた言葉以外にも、自分で気に入ってアファメーションにしている言葉なども、逆効果になるものが多いので、私も言葉には十分に気を付けたいなと思った。

インスタ凍結からの需要な気付き

昨晩、22時頃からインスタグラムで不具合が起き、アカウントが凍結される事例が相次ぎました。

 

そして、私もそこに巻き込まれた一人で、散々な目に遭いました。

 

なので、その一部始終を記録してみました(笑)

 

 

まず夜22時頃、いつものようにインスタグラムにログインし、仲間の投稿を見ながら「いいね」を押していた時のこと。

 

急にこんな画面が表示されて、インスタグラムのアカウントが使えなくなりました。

 

 

 

え?なにこれ。

いきなり一時停止ってなに?

 

と不安になり、すぐにGoogleで同じような現象になった人がいないか調べました。

 

 

すると、異議申し立てをして、アカウントの凍結を解除してもらう必要があるとの記事が出てきたので、書いてある通りにやってみるも、

 

認証コードの画面(スマホのSMSに数字のコードが送られてくるやつ)から、一向に先に進まない。

 

 

この時点でなんかおかしいなと思い、すぐにTwitterを見てみると、なんと同じような状況になっている人が多発していて、「インスタ凍結」「インスタアカウント停止」のようなキーワードがトレンド入りしていたのです。

 

皆さん、私と状況が全く同じだったので、これはバグかもと思い、インスタの公式アカウントから正式なアナウンスがあるまで待つことに。

 

 

そうしてしばらくすると、公式のインスタアカウントから、「現在不具合が起きているので、改善までしばらくお待ち下さい」というアナウンスが発表されたのです。

 

この時点で、すでにYahoo!ニュースにもなっていたので、(良かった、自分だけではなかった!)という安堵感に包まれていました。

 

 

そして、みんな同じなら安心するという日本の村社会ならではのこの感覚。赤信号みんなで渡れば怖くない!的な感覚は、私にもちゃんとあるんだなと再認識しました(笑)

 

 

そして、勝手に凍結された後はインスタにアクセスすら出来ず、どうにも出来ない状態だったので、諦めて寝ることにしました。

 

諦めは得意ですから、切り替えは早いです(笑)

 

 

明日には直っていればいいな~。

 

そう静かに祈りつつ、眠りにつきました。

 

 

そして今朝、恐る恐るインスタを開いてみると、、、。

 

 

直ってるー!!

 

見れるようになってるー!!

 

感謝感激雨霰

 

マンモスうれピー\(^o^)/

 

 

という激しい歓喜の世界(笑)

 

インスタの公式アカウントからも、不具合が修正され、無事に直りましたとアナウンスがありました。

 

 

仲間のインスタも全部凍結され、何一つ見れなくなった時の絶望感。

 

それを感じた時に、私はSNSが大事なんじゃなくて、そこで繋がってる仲間たちが本当に大事なんだなと気付きました。

 

 

何より、生粋のスキゾイドちゃんだった私が、インスタグラムを普通にやっている(というかむしろ毎日楽しんでいる)こと自体が、2年前なら考えられなかったわけです。

 

SNSなんて、私には何一つ必要ないと思っていたし、そういうものを普通に楽しんでいるリア充を馬鹿だと思っていました(典型的な見下し)。

 

 

でも今は、SNSも普通に楽しめるようになり、アカウントが無くなりそうになったら大騒ぎするほど、私という人間が変わったわけです。

 

昔の私だったら、いちいち目の前のことに一喜一憂しなかったし、そこに感情すらありませんでした。

 

 

無気力・無関心・無感動がデフォルトだったから。

 

なぜなら子供の頃に、感情は出してはいけない、いちいち反応してはいけない、何事にも動じないことが是である、むしろ常にそうであれと親から刷り込まれていたからです。

 

 

でも、この歳になって気付きました。

 

SNSと共に生きる人生は意外と楽しい。

 

これも人生の大切な思い出作りです。

 

 

こうして、さり気なく文章を書いていますが、実はこの一連の感情の動きがとても大事なんです。

 

過去の私は何事にも一喜一憂しませんでしたが、今はすべて反応します。

 

 

それは認知行動療法における回復の過程で、とても重要なことだからです。

 

それも全部記録します。

 

 

そして、この裏にはとても大切なプロセスがあります。

 

 

一つ一つ自分で気付き、修正していくためには、感情の動きが何よりも大切です。

 

今回の気付きで一番大きかったのは、インスタで繋がっている仲間と縁が切れたら悲しいという感情です。

 

 

え?あなた孤独が好きじゃなかったっけ?

 

いつどんな時でも一人でいたいって、言ってなかったっけ?

 

「ぼっちこそ正義」ってスローガンを掲げてなかったっけ?

 

 

↑これ、何度も自分に問いかけました。

 

全部ウソでした(笑)

 

 

本当は人と繋がりたい。

 

その欲求を誰よりも隠しているのがスキゾイドです。

 

 

本当は誰よりも人間が好きで、愛情深くて優しいのです。

 

 

興味がないとか諦めればいいとか、そういう都合のいい思考で蓋をして、誤魔化していた過去の自分。

 

それがだいぶ溶けてきました。

 

 

本当の自分と偽りの自分を完全に切り離してしまって、社会と隔絶している人は、このブログすら見ていないと思います。

 

多分こんな私の暗いブログを読んで下さっているような方は、薄皮一枚かろうじて繋がっていて、本当はそんな自分をどうにかしたいのではないでしょうか。

 

出来る出来ないは置いといて、本当の自分の欲求だけは無視しないでください。

 

 

人間は人と人の間で生きていく生き物です。

 

人々の中でしか、社会というコミュニティの中でしか生きていけないように宿命づけられています。

 

 

かつて誰よりも一人になろうとして、閉じこもって体もおかしくなって、最終的に寝たきりなった私が気付いたことは、すべてスキゾイドちゃんの本当の心の叫びでもあります。

 

インスタ一つでこんなに大切なことに気付くんです。

 

 

これも人がいたから気付けたんです。

 

無人島に一人で住んでいたら、何も気付けません。

 

 

一人で生きたら、本当に何も気付けないんです。

 

なぜなら、社会は全て自分の投影だから。

 

 

そしてもう一つ。

 

壊れていたものが直る

 

この喜びは、アプリだけでなく人間も一緒です。

 

 

乖離、分離していたものが統合された時、人は治る。

 

これさえ分かっていれば、自分の本当の声を無視しなくなるはずです。

 

 

結局、インスタは無事に復旧し、また問題なく楽しめるようになりました。

 

当然、直してくれたのも人です。

 

 

もしかしたら以前の私は、

 

人と関わりたくない、一人になりたいから放っておいてくれ。

 

そう思っている自分は、人が作っているサービスも利用する権利なんてないのではないか、と思っていたのかもしれません。

 

 

せっかく、ソーシャルメディア全盛の時代に生きているのに、それいつ楽しむの?

 

今でしょ!

 

と、今ならもれなく寒いギャグも言えるまでになりました(笑)

 

 

まだまだ回復します。

 

スキゾイドちゃんにとって、諦めは最強の敵ですから、絶対に諦めません。