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内観の記録。その他。

31回目の命日

今日、4月25日は尾崎豊の31回目の命日。


この31年間であなたを超えるアーティストは現れませんでした。
 

生きていたら57歳。
時が経つのはあっという間です。
 

 

小学生の頃、自分の居場所などどこにもなく、学校から帰ってきたら真っ先に押し入れの中に入って、真っ暗な狭いスペースで、尾崎の歌を聴いていた日々。
 

数少ない私の心の拠り所でした。
 

 

神懸かった東京ドームでの「群衆の中の猫」。
 

今の若い人にこそ、こういう歌を聴いて欲しい。

 

youtu.be

 

尾崎が死んだ時、私は中学一年生で、ある日学校から帰ってきたら、母親が私の顔を見るなりこう言ったのです。

 

「尾崎死んだよ」

 

 

えっ??

 

一瞬で頭が真っ白になった私は、その時リビングのテレビに映し出されていた尾崎豊急死のニュースを見て、本当に絶望的な気持ちになったのを覚えています。

 

 

嘘だ。何かの間違いだ。

 

何で??

どうして??

 

 

その後、その事実を全く信じることが出来ず、また私は押し入れに引きこもり、カセットウォークマンのボリュームを最大にして、耳が壊れそうになりながら、一睡も出来ずに朝までずっと尾崎の歌を聴いていました。

 


当時、この世に信用出来るものなど一つもなかった私が、尾崎の歌の歌詞だけは、何か本当のことを言っている気がして心の支えにしていただけに、その人がいなくなってしまったという事実は、13歳の私には耐え難い苦しみでした。

 

 

何より、娘が尾崎に激しく心酔していることを知りながら、いきなり「死んだ」という事実を躊躇なく直球で突きつけることが出来る母親の無神経さに辟易しながら、そこから半年間、一体どうやって過ごしていたのか、本当に全く記憶がないのです。
 

学校に行っても授業も全く手につかず、ぼーっと窓の外を見ている日々。

 

 

心の拠り所にしていたものがこの世から消えて無くなるというのは、こんなにも辛いのか。

 

実際、ファンの方で後追い的なことをした人もたくさんいました。

 

 

尾崎の歌は当時の私と同じように、思春期に家にも学校にもどこにも居場所がなくて、言いようのない生きづらさを抱えて、それでも前に向かって進もうとしている人たちの心を本当に勇気づけてくれました。

 

 

尾崎の歌を聴いて、彼独特の文学的な歌詞に触れて、自分の生き方を真剣に考えるようになって。


どうせ生きるなら、苦しみも悲しみも、ちゃんと感じて真っ当に生きていこうと思った、そう思わせてくれた本当に大切なアーティストの一人だったのです。

 

 

私にとっては長渕剛さんと並んで、思春期に最も影響を受けた人だと思います。
 

 

今まで40数年生きてきて、何度も大切な人の死に直面しましたが、私の記憶にある限り、尾崎はもっとも生きていて欲しかった人だと思っています。

 

 

ちなみに「群衆の中の猫」は、高校生の頃に憧れていた先輩と一日だけデートをした時に、片耳ずつイヤホンを入れて、一緒に聴いていた思い出の曲。

 

恋は叶わなかったけど、なぜかとても温かい思い出として残っています。

 

 

この時、先輩から「デートの記念に何か欲しい物があったら何でも買ってあげるよ」と言われたのに、遠慮して「いらない」と言ってしまい、見かねた先輩が帰り際にケーキを買って持たせてくれたのですが、今思えば一生の記念になるような物を何か買ってもらえば良かったと後悔しています(笑)

 

 

幸せ恐怖症。

「私は幸せになってはいけない」という思い込み。

 

遠慮するとか、欲しい物を言えないとか、相手の気持ちを素直に受け取らないとか。

 

本当にくだらないメンタルブロックばかり入ってる!!