自分の人生をより良いものにするためには、自分の声を聞くことが大切だとよく言われますよね。
自分の声=魂の声
つまり、本当は自分はどうしたいのかを、自分の魂の声に耳を傾けて、そこから聞こえてくる声を聞くということだと思います。
しかし、私が思っている「自分の声を聞く」はもっとレベルの高いものをイメージしています。
一般的に自分の声を聞くというと、
・ラーメンを食べたら体調が悪くなった。だからラーメンはもう食べないで。
・睡眠時間を減らしたら、日中ずっと眠かった。だから睡眠はちゃんと取って。
・休まず限界まで仕事をしていたら倒れてしまった。お願いだからちゃんと休んで。
とか、こういうのを自分の声を聞くって思ってる人が多いみたいなんですね。
マクドナルドを食べたら体調が悪くなったから、体の声を聞いてマクドナルドを食べるのをやめた。
自分の体に合わないものはもう摂取するのをやめたから、もう体調を崩すことはなくなった。
自分の生活からマクドナルドを排除すれば問題なし。
よし!自分の声がちゃんと聞けたぞ。終了。。。
って、おーーーーーーーーーーい!!
これでは話はまだ終わっていません(笑)
これは私が3歳から人間観察をしてきて思っている事ですが、マクドナルドを食べて体調を崩した時に、その声を聞いてその時は「もう食べるのをやめよう」と思っても、しばらくするとその事を忘れてしまい、またマクドナルドを食べるという人はたくさんいます。
そうして、何度か同じことを繰り返した結果、やっぱりこれは自分の体に良くないからやめようと思って、いわゆる「懲りた」という経験とともにやめる人がほとんどだと思います。
例えば牡蠣にあたって下痢や嘔吐が止まらず酷い目にあって、トラウマになるレベルで強い恐怖心を覚えた人は、そのたった一回で「もう二度と牡蠣は食べない」と決意する人もいると思います。
しかし、多くの人は違います。
体調を崩すとわかっていながらも、何度も食べてしまった自分が過去にいたわけです。
そこの声はなぜ聞かないのでしょうか。
例えばもう一つ例を出します。
これは私自身の話ですが、私は一人で静かに過ごすのが好きな性格で、表に出る仕事、目立つ仕事は全く好きではありません。
でも私は講師業という人前で喋る仕事もやったりしています。
(本業はデイトレーダーですが、それに伴ってトレードを教える仕事もしています。)
人前で喋ることが何よりも苦手で、むしろ一人で静かにしていたい私が講師業っておかしくないですか?
実際、講師の仕事が終わった後はぐったりと疲れてしまい、エネルギーは空っぽ。
しばらく一人になりたいという欲求に駆られ、一人になるとホッとするし、実際講師業でなくなったエネルギーを補充するのに結構な時間がかかります。
もし本当に自分の声がちゃんと聞けていて、自分の本当にやりたい事をやっていたら、仕事が終わった後は充足感と恍惚感、幸福感で一杯なはずです。
でも終わった後、疲れている。
しばらく誰とも話したくない。
この状態に陥っているということは、自分の本当の声とは違うことをやっている証拠なんです。
以前、「母親の厳しさは負の遺産になるのか」という記事で、私とそっくりなTさんの話をしましたが、Tさんも人前で喋ることが何よりも苦手で、一人で静かにしていたい性格なのに、やはり講師業をやっています。
昔は予備校で数学を教えていましたが、今はネットビジネスだったり投資での稼ぎ方だったり、やはり教える仕事をしています。
そして講義が終わった後、まるでスイッチが切れたかのようにピタリと動かなくなり、全く喋らなくなります。
そして何故だか分からないけど、私と同じパーソナリティを持った人たちは、講師業をやっている人がとても多いんです。
学校の先生、塾の先生、予備校講師、カルチャースクールの講師、セミナーや講演活動など。
「うわー!先生多いな~。」と思って、本人に聞いてみると「人前に出るのは何より苦手なんです。」と全員言います。
じゃあ何でやってるねん(笑)
これって芸能人でもわりと多くて、元々人見知りでシャイで引っ込み思案な性格なのに、俳優とかやって舞台に立っている人って本当に多いんです。
おかしくないですか?
自分の声、本当の声とはいかに??
一体どっちが本当の自分なんですか。
本当は自分は何がやりたいんですか。
思ってることとやってることの辻褄合ってますか、と。
で、本題はここからです。
「自分の声を聞く」とは結局何かというと、この声を発している前提の部分、つまりこの声を発している大元の原因まで聞けて初めて、自分の声が聞けたってことなんです。
上記の私の例だったら、多分ほとんどの人が「人前で喋るのは苦手」レベルの声までしか聞けないと思います。
でも本当に聞くべき声は、
・何のためにわざわざ苦手な事をやっているのか
・何のためにその苦手なことを仕事として選んだのか
・苦手と分かっていることを何故エネルギーを消耗してまでやっているのか
と、もっと深いところまで聞いていくことが大事なんです。
自分の本当の声は表面には決して出てこないので、多くの人が普段聞いている自分の声は表層の本当に浅い部分のちょっと考えたら出てくるような声だけなんです。
でもその浅いところの声じゃなくて、もっとその後ろにある前提の声まで深堀りして聞いていくと、初めて本当の自分の声が聞けるんです。
だから私は日々、1000本ノックをやっているんです。
自分への問いかけ1000本ノック(笑)
・何のためにその苦手なことを仕事として選んだのか
という問いかけからスタートしたら、そこからひたすら1000本に達するまで問いを続けて、連想ゲームみたいにずっと深掘っていくんです。
これをやって初めて本当の自分の声が聞こえるんです。
ちなみに私が本当は苦手なのに、あえて講師業をやっている自分の本当の声って何だったと思いますか?
自分という人間が確かにこの世に存在したことを誰かに知っておいて欲しい
もうね、これが出てきた時は笑いましたよ。
誰とも関わりたくなくて、自ら孤独を選んで生きてきた私が、本当は自分の存在を誰かに認めてもらいたいと思っている。
つまり、「私を見て!」って小さい頃の自分がずっと訴えている。
でも本当に見て欲しい相手は母親なんですよね。
小さい頃に母親に自分を見て欲しかった、存在を認知してもらいたかったという思いを、今になっても講師という形を使って私はやっているわけです。
つまり人前に出ることの背景にあるのは承認欲求なんです。
本人は顕在意識では全くそんなことは思っていませんが、潜在意識の深い部分まで探っていくと、私と同じタイプの人は例外なく根っこに非常に強い承認欲求を隠し持っています。
本音ってね、表の自分が考えている事とだいたい逆なんですよね。
だから「自分の存在を知っておいて欲しい」が本当の理由なら、やるべきことは別に講師業じゃなくてもいいわけです。
こうやって自分と向き合っていくと、いかに勘違いして生きているかがわかって、今までの40数年、本当に馬鹿だったなと思います。
でも私は何故こうして、辛い思いをしながらひたすら自分の声を聞き続けているかと言うと、何か新しいスキルを身に着けるより、自分の生きづらさや過去を整理し、本当の自分を取り戻すことの方が優先順位が高いからです。
自分の声を聞くって奥が深いんです。
そして今日伝えたいことは、自分の声を聞く時は、その声と同時にその声を発している前提まで含めて根っこの声を聞くということ。
もし体に悪いと思っていながら、マクドナルドを食べてしまった。
じゃあそもそも、何で体に悪いと思っていながら食べてしまう自分がいるのか?
その自分はどこから来ているのか?
過去にも似たような出来事がなかったのか?
と、どんどん掘り進めていって、最終的には愚かな行為をしてしまう自分の源泉まで辿り着ければ成功なのです。
だいたいこの手のマクドナルド的なやつは、深く掘っていくと子供の頃に感じた何かの罪悪感と繋がっていることがほとんどです。
自責の念を潜在意識に溜めている人は、体に毒になるものを摂取したり、過度に自分を追い込んだり、体を壊すような行動をしがちです。
なので、ここで私が言う自分の声とは、これを食べたいあれをしたい、ちょっと違和感を感じるとかそんなレベルの話ではなく、頭と体が引き裂かれそうになるレベルの本当に聞きたくない、自分にとって都合の悪い嫌な声を聞くということなんです。
聞きたくない、見たくない、ちょっとでもそれに触れたら逃げたくなる。
イラっとする、思わず投影を起こすような声。
体の調子が悪い時に聞く声は、何を食べたからこうなったのかという浅いレベルの声ではなく、そもそも体調を崩すとわかっていながら、それを食べてしまった自分の深層心理には何が隠れているのか。
わざわざ自分でおかしなものを食べて体調を崩すという自作自演のゲームをやっている本当の原因。
そこを掘っていく、そこの声を聞いていくという事なんです。
背景まで含めて全部見て初めて本当の声なんですよね。
何故なら声の根っこから捉えないと、自分を本質から変えることは出来ないし、まだ何度も同じことを繰り返すからです。
そしてこの作業は通常の内観とはちょっと違うので、誰かに手伝ってもらってやると、とても効率がいいです。
一つの問いに対して出た答えに、どんどんノックを打ってもらって追い込んでもらう。
それは何のためにやっているの?
それはどんな理由でやっているの?
と他人から追い込んでもらうと、あっという間に1000本行きます。
自分の本当の声は聞こうと思って、ただ耳を傾けているだけでは聞こえてきません。
積極的に問いかけるんです。
こういうのは、事例で伝えていった方が分かりやすいと思うので、また1000本ノックの具体的な事例などは、改めて記事にしたいと思います。