今年も始まりました。
毎年恒例、12月の焦燥感祭りでございます。
これは何かというと、30歳の時に臨死体験を経験して以来、私の身に起きている発作のようなものです。
今から14年前、私はスキルス胃がんで一度この世を去ったのですが、なぜかこちらの世界にもう一度戻され、今でも生きているという実に不思議な人生を歩んでいるのです。
でも実は臨死体験って、もの凄く辛い記憶であり、体験した人の半数以上がうつ病になるくらい、結構しんどいものなんですよね。
よく本とかメディアなどで、「臨死体験を経験して人生が変わりました!」と前向きな発信をしている人もいるのですが、あれはほんの一部の人で、実際は臨死体験を経験した人の約8割は「二度と思い出したくない」「その話はしたくない」というくらい、実はネガティブな体験として記憶に残っている人の方が圧倒的に多いんですよね。
その理由は何故か。
死後の世界があまりに美しいからです。
私も体験しましたが、死んだ後の世界と言うのは本当に天国で、一度あの空間を味わったら、もう二度とこの地球には戻ってきたくないと思えるほどに、最高の世界なんです。
あんなに素晴らしい世界があることを知ってしまったら、こんなに薄汚い欲にまみれた社会なんかに戻りたくないって本気で思います。
そして私も命が助かってからの数年は酷いうつになりました。
何で自分は助かってしまったのか
何で今でも自分はまだ生きているのか
何でまたこんなに薄汚い社会で生きなければならないのか
もう一度あの美しい天国に戻りたい
とにかく、一度体験した光の世界が忘れられず、あの世と比較してしまうと、こちらの世界はあまりにも天と地の差だったため、そのギャップでとてもじゃないけど、この世ではもう生きられないと思ってしまったのです。
そうしてその日から、私はなぜか毎年年末が近づいてくると、精神的に不安定になり、上記に書いたような「何で自分はまだ生きているのか」という思いと共に、あの美しい天国を思い出してしまって、心が病むのです。
そしてこれが地味に辛くて、だいたい12月から始まって、暮れの有馬記念とホープフルステークス辺りでちょっと落ち着き、「良かった~。今年も生きて有馬記念が見れた~。」と思ってからの、年が明けて自分の誕生日を迎える頃にはやっと落ち着いてくるのです。
そんなこともあって、12月はヤマザキ春のパン祭りとは逆のノリで、ネガティブな一ヶ月を過ごすことになるのです。
臨死体験って、「死を経験して人生変わりました!」みたいな発信をしている人の方が声が大きいので、「死」でよっぽど人生が変わるんだろうなって思う人も多いと思うのですが、これは研究のデータを見て頂ければわかりますが、実際は臨死体験をした後の方が、死ぬ前よりも人生が辛くなったという人の方が圧倒的に多いのです。
当然そういう方々は声を上げませんし、自らの体験を話したりもしないので、臨死体験者の苦しみと言うのはほとんど伝わっていないというのが現状だと思います。
何でそうなるかというと、天国とこの世の世界があまりにも違いすぎるからです。
一度死んだのにもう一度この世に戻される感覚を例えて言うなら、今のネット社会、そして便利なものがたくさんある時代から、一気に原始時代に戻されるような感覚です。
スマホやシャワートイレや車や電子決済やAIみたいな様々な便利なものをすでに体験している人たちが、いきなり原始時代に戻されて、不便な中で生活をすることを考えたら、うんざりしますよね。
もっと時代を変えて、例えば江戸時代でもいいです。
ガスも電気もない中で、一から火を起こしたり、井戸から水を汲んだり、東京まで行くのに箱根峠を歩いて超えていたということを想像すると、多くの人が無理だなと思うと思います。
それくらいの差なんです。
一度快適な生活を経験した人は、もう不便な生活には戻れない。
これと同じ苦しみが臨死体験をすると、一生ついて回ります。
とんでもなく美しい最高の世界があるって知っているのに、人間の欲にまみれたこの薄汚い社会で生きていかなければいけない苦しみ。
(ちょっと薄汚いって言いすぎですね。でも本音なので仕方ないです。笑)
そんな訳で、なぜ毎年12月にこの発作が起きるのかは謎ですが、(私が一度死んだのは8月だったので、8月の自分の命日に発作が起きるのはわかりますが)、いつもこの時期にやってくるので、ひたすら耐えているという感じです。
今年も無事に有馬記念を見れていたらいいなと思いますけどね。