ブログのプロフィール欄の方には簡単な自己紹介は書いていますが、こちらにはちょっと詳しめのプロフィールなど載せておこうと思います。
【詳細プロフィール】
アラフォーのスキゾイドちゃん。
両親、そして同居していた祖父母ともに全員変わり者で、極めて劣悪な家庭環境で育つ。
幼少期から中学時代までは、常に大人の顔色を見ながら過ごす。
とにかく喋らない地味な子。単純に人が怖かった。
結構重めの対人恐怖症。
学校では、「あ、いたの?」と言われるほど、存在感ゼロの日々。
教室の隅で一人で本を読むのが好きだった。
生まれつき体が弱く、虚弱体質だったが、友達はそれなりにいて、元気いっぱい外で遊んでいた。
子供時代は、バブル景気の影響で実家が裕福だったこともあり、欲しい物は何でも買ってもらえたり、何かと時代の恩恵を受けていたように思う。
高校生になり、急に今までの内向的な自分に嫌気がさす。
そもそも私がこんな性格になったのは親のせいだと思い、「反抗期」という言葉の力を借りて、親に逆らう態度を試みるも、元々の温厚な性格が邪魔をして、すぐに撤回。
粗野な態度は全く性に合わなかった。
この頃、自分を変えるために、手当たりしだい友達を作ろうと思い、当時リクルート社が発行していた「じゃマール」という雑誌を駆使し、年間100人近くの人と会う。
(「じゃマール」は、いわゆる出会い系の雑誌で、都合400人以上の人に会ったけど、危ない目にあったことは皆無。あの時、遊んでくれた皆さん本当にありがとう!)
尋常ではない努力を繰り返し、社交的な性格を演じていたら、なぜか人生初のモテ期が到来。
どこに行ってもチヤホヤされる。
特にバイト先の店長など、年上の男性には異常に気に入られ、あからさまにえこひいきをされる。
また音楽に熱中し、仲間とストリートライブを繰り返す。
女性で弾き語り出来るなんてかっこいいですね!と言われてまたモテる。
たぶんその時人生ってチョロい!って、ちょっと思ったかもしれない(笑)
ちなみにこの頃、なんでモテたのか、後で真剣に振り返ったことがある。
特別かわいいわけでもないし、むしろ容姿は中の下だ。
当時、私のどこに魅力があったのか周りに聞いてみると、
・勉強も部活もバイトも趣味も常に全力
・意思が強くてブレない
・考え方が大人(高校生とは思えないほど老成している)
という意外な答えが返ってきて驚く(笑)
確かにガリ勉だったし、何かに取り組む時は、誰よりも一生懸命やっていた。
それが普通だと思っていたけど、どうやら世間では違ったようだ。
当時、私は強い貞操観念を持っており、自分で責任が取れないうちは恋愛はしないと決めていた。
不思議なもので、簡単に付き合える女子より、私のように押しても全くなびかないJKに、興味を持ってくれた人が多かったようだ。
今考えれば、この時期に告白してくれた人たちを全員振っていたのだから、実に酷い話である。
(この応報はたぶん来世で。笑)
高校を卒業し、大手電機メーカーに就職。
誰よりも一生懸命に働き、たった一年でリーダーに抜擢される。
やはり人生はチョロい。
簡単にクリア出来て面白くないと思い、あえて自分の一番苦手なことにチャレンジしてみようと、営業職に転職。
3日で嫌になると思っていたが、会社の雰囲気が良すぎてそのまま居つく。
何もかも順調に思えた21歳のある日、事件は起きる。
突然の病(急性膵炎)で入院。
あと30分、病院に来るのが遅かったら死んでいたと言われた。
元来の我慢強い性格が裏目に出た。
痛みは極限まで我慢してはいけない。
病気になり動けなくなったことで、ベッドの上でとても穏やかな日々を過ごす。
何とも言えない安らぎを感じていた。
この時は気付かなかったが、この病気が自分の本来の性質と違う生き方をしていたことによる、一回目の警告であったことに後で気付く。
治療の末、徐々に回復はしたが、強い薬の副作用で、肝臓と腎臓をやられる。
西洋医学に強い違和感を感じ、この頃から東洋医学に強く傾倒していく。
頻繁に、断食や各種健康法、民間療法などを繰り返し、無事回復。
しかし23歳の時、2度目の事件が起きる。
2002年、国道で車に跳ねられる。
歩道に突っ込んできた車にヒットし、8mほど飛ばされ、顔面からアスファルトにダイブする。
意識不明の重体。
病院に搬送されすぐに処置されたが、体が全く動かず、一時的に障がい者となる。
言葉を発することすら出来ず、唯一動くのは目だけ。
頭と顔が潰れてぐちゃぐちゃなり、何度も手術を繰り返す。
親は変わり果てた娘の姿に絶望していたが、お医者さんの「治るかどうかはあなたの自然治癒力しだいですよ」という言葉に救われる。
東洋医学を学んでいたことも功を奏し、長いリハビリを経て、自分の力で日常生活が送れるまでに回復。
(現在もこの時の怪我の影響で後遺症と体の傷が残っており、一般の人と同じような生活が送れない時もあるけれど、まぁこれは個性だと思い、あまり気にしていない。)
お医者さんには、あと1mm打ちどころがずれていたら即死だったと言われ、その1mmを分かつものは一体何なのかと思うとゾッとした。
この事故の影響で、普通に働くことが困難になり、生きる道を模索したのち、ネットビジネスに出会う。
2003年からアフィリエイトを開始。
今思えば、この事故は神様からの二度目の警告だったが、それを無視し、私は後に三度目の失態をやらかすことになる。
ネットビジネスはとても楽しく、特にSEO(サイトアフィリエイト)に熱中した。
色々な人が出てきては消えていくこの業界は、とても面白かった。
アフィリエイトは基本的に自宅でパソコン一台で作業が完結する。
この仕事は本来の自分に合っていたはずなのに、私はまた懲りずにここで余計な行動に走る。
「そうだ自分をブランディングしてファンを作ろう!」
何度も言うが、私は目立ちたいキャラではない。
でもなぜか、社交的にならなくてはいけない、人の役に立たなくてはいけない、せっかく生まれてきたのだから、何かを残さなくてはいけない。
そうずっと思い込んでいた。
毎日ブログのコメント周りをし、メルマガで読者さんと必死にコミュニケーションをとり、mixiやビズコムなど、当時のSNSでは自らリーダーになった。
ネット上でも、本来の自分とは真逆の明るいキャラを演じてしまったのだ。
結果、自分の本来の性質を無視して生きるとこうなるという、間違った生き方の典型的な失敗例を作ってしまったわけですが、
その後、「あれだけ警告したのに、まだわからないのか!」という、神様からの三度目のとどめを食らう。
30歳で末期がんの宣告。
(ステージ4のスキルス胃がん)
癌というのは厄介で、ステージ3以降になるまで、ほとんど自覚症状がない。
気づいた時にはもう手遅れだった。
助かる術もなく、余命3ヶ月を告げられ、私はその宣告通り3ヶ月後に死んだ。
本来であれば私の人生はここで終わっていたはずなのに、なぜかまだ生きている。
あの世で神様に会った時、もう一回行ってこいと送り出され、臨死体験を経て生き返ったのだが、なぜそうされたのか、今ならその答えがハッキリとわかる。
私が過去の体験から学んだのは、自分の本来の性質を無視して生きてはいけないということ。
ひまわりが桜になれないように、キリンがライオンになれないように、サザエがアワビになれないように、決して違うものになろうとしてはいけない。
普通の人は、メーターが振り切れる前に何かしらの違和感を感じ、「現実逃避」というものをうまく利用して、軌道修正できるのだけど、
私はそのメーターが壊れていたので、完全に振り切ってしまい、神様に三度目のとどめをさされるまで、自分の間違いに気づかなかった。
実におろかで笑える話だ。
奇跡的にもう一度チャンスをもらい、生還してからは、自分の正直な気持ちをごまかすのをやめた。
3回のニアデス体験ですっかり懲りた私は、自分の性質に忠実に従い、苦手なものを人生から全て捨てた。
それ以来、一度も試練のような出来事は起きておらず、淡々と穏やかな日々が続いている。
本当は静かに本を読むのが好きな性格なのに、人間関係という付き合いのもと、
カラオケで盛り上げ役をかい、マラカスを振って踊っている、以前の私のような人は他にもいると思う。
さすがに私みたいに、人生ひっくり返すくらいの勢いで、振り切ってしまう人はいないとは思うけれど、人は本質から外れた時、必ず何らかのお知らせが人生に現れる。
事故や病気、人間関係やお金のトラブル、物が頻繁に壊れるなどが現れた時は、要注意。
必ず何かが間違っている。
そんなわけで、今は神様から“おまけの時間”をもらって生きていると思っているので、一切の無理はせず、地下にひっそりと潜りながら、デイトレーダーとして静かに暮らしている。
私と同じように、社交場、人とのコミュニケーション、家族、友達、恋愛に苦悩する人は意外と多いが、
その分、離れた場所から見える景色や、世の中の動きや、孤独な時間を愛しく思える素敵な人生を歩めていると思う。
元々持っていたパーソナリティの問題+3回のニアデス体験で、完全に浮世離れしてしまったけれど、こんな変わり者でも、受け入れてくれる人がいるのが素直に嬉しい。
そして、今までに体験した事故、病気、臨死体験などの話は、改めてこのブログで少しずつ書いていこうと思っています。
本当は情報発信などせずに、そのまま静かに暮らしていたら毎日幸せだったんですが、この歳でブログをやり始めたのも、何かの縁なのでしょう。
私にはもう少しやり残したことがあるようなので、それも併せて色々綴っていきます。
というわけで、長いプロフィールを読んで頂きありがとうございました。