若い頃に感情を抑えて、超然とした態度をとっていた人ほど、人生の後半で反動がくる。
抑えつけたものは、いつか限界に達し、上がってくるんだ。
そして私のように、若い頃にまるで悟りを開いたような浮世離れした生き方をしていると、人生の後半から、今までに積み上げてこなかった俗世間での極めて人間的な修行が始まる。
40代から踊る阿呆側の視点を学ぶのは本当に大変。
そういう意味では、俗世間に全く馴染めず、子供の頃から「人生とは何か」を考えざるを得なかった属性の人は、ある意味不幸だと思う。
残酷だけど、それを考えているうちに人生は終わる。
本当に大切なものは全て置き去りにして。
「俗」でも「聖」でも、どちらかの世界に偏っている人は人間として、とてもバランスが悪い。
だから、そのバランスの悪さを修正させるように、数々の試練が起きる。
「俗」の方に偏っている人は、しばらく孤独になり、一人の時間を多くした方が良い。
群れの中では気付けない大切なことに、たくさん気付ける。
一方で、私のように「聖」の方に偏っている人は、社会という名のコミュニティで、しっかりと地に足をつけ、人間としての泥臭い修行を行わねばならない。
そこを避けると、人間以外の何かになるか、病気になるか事故に遭うか、死ぬ。
神様(自分の中にいる真我、本当の自分)は容赦ない。