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内観の記録。その他。

最終的に目指しているもの

私は元々SNSも好きではないし、ブログで自分自身のことを書いて、情報発信をするようなタイプではありません。

 

でも、こうしてブログを書こうと思ったのには、一つの理由がありました。

 

それは「臨死体験者の仲間が欲しい」。

 


私は30歳の時に、病気で臨死体験を経験しています。

 

そしてその後、自分が助かってしまった罪悪感から、ひどい鬱病になりとても苦しみました。

 

その苦しみは今でも消えることはなく、毎日「自分はなぜ生きているのだろう」と自問自答する日々が続きました。

 


そうして10年が経ち、ある記事を目にします。

 

「近い将来、脳にマイクロチップを埋め込んで、記憶を自由自在に取り出すことが出来るようになる。」

 

その研究が海外で進んでいて、もうすぐ実用化できるという記事でした。

 


「これだ!!」と思いました。

 

私の頭の中にある臨死体験の記憶を、ぜひ研究に使って欲しい。

 

むしろ、自分でその謎を解明したい。

そう思いました。

 

 

臨死体験というのは、科学ではほとんど解明されておらず、また臨死体験者は、自身のその体験の記憶があまりに辛いため、ほとんど表に出てくることはありません。


私も10年経つまで、人に話すことすら出来ませんでした。

 

 

でも、自分の頭の中にある記憶が確かなものならば、それが解明されるかもしれない。

 

そう思った時、自分が実験台になりたいと思いました。

 

そうして、ちょっとずつ臨死体験に関する、自分の体験を話していこうと思い始めたのです。

 

 

最初はFacebookで少しずつ記事を書き始め、慣れてきたところでブログを始めようと思っていましたが、実はこの間に、自分の中でとても大きな変化がありました。


謎の体調不良で倒れる

 

ある日、突然体が全く動かなくなり、倒れてしまいました。

 

 

直前まで元気だったのに、です。

 

病院で検査をするも異常なし。

 

お医者さんからは吐き捨てるように、「ストレスによる自律神経失調症でしょうね」と言われました。

 


その後、別のきっかけで婦人科を受診して、更年期障害であることがわかったのですが、年齢的に本格的な更年期にはまだ早い。


これは他に何かあるなと思いました。

 


そうして彷徨っていた時に見つけたのが、「心の問題を長年放置していると40代以降、急に体が動かなくなったり、鬱病になったりする。」というある臨床心理士さんの言葉でした。

 

これだ。

 

そしてその頃、まるでタイミングを計ったかのように、「スキゾイドパーソナリティ障害」という言葉に出会うのです。

 


私自身、一人で自分の好きなように楽しく生きてきて、正直全く何の問題もないと思っていました。

 

ストレスなんか感じたことはありません。


でも、実は見えないところで、心は悲鳴をあげていた。

 

無意識とは怖いものです。

 


一度脳が自分にとっての必要な情報を認識すると、カラーバス効果によって、必要な物がどんどん集まってきます。

 

そして私と同じように、40歳を超えてから急に生きるのがしんどくなって、悲鳴を上げている中高年たちを目にすることになるのです。

 


ここから、ちょっと書ききれないくらいの勢いで、自分にとって必要な人や情報に出会っていったのですが、率直にこれは大問題だなと思いました。


臨死体験とか言ってる場合じゃない。

 

先に心をどうにかしないと、後々死活問題になる。

 

直感的にそんな気がしました。

 

 

私が抱えている心の問題とは、何事にも興味関心がなく感情もほとんどなく、すべてを諦めで処理して浮世離れして、淡々と生きていること。

 

そして自分のその性質について、問題意識が全くなかったこと。


正直、ちょっと前までは、この生き方って最強だと思っていたのですよ。

 


それどころか、もう少しで無の境地に行けそうだ。

 

私は神様に近づけるかもしれないとか思っていたのですよ。


真面目に。


どれだけ気持ち悪いのかって話です(笑)

 


そこで始めたのが内観です。

 

内観をやってみて、天と地がひっくり返りました。


びっくりしました。

そして今、思います。

 


肉体を持って三次元の世界に生きている私たちは、人間らしくあらねばならない。

 

心が動かない人間は、死んだ人間と一緒です。

 


たぶん私は今、日本で一番「スキゾイド」について、真剣に考えていると思います。

 

それは専門家の比ではない。

なぜなら、当事者だからです。

 


最初は、毎日楽しく生きていて、周りに何も迷惑をかけていないのに、なんでスキゾイドが障害なんだ?


これって個性でしょう。
そう思っていました。


でも違った。
スキゾイドは立派な障害です。

 

 

なぜなら、人格が半分死んでいるからです。

 

スキゾイドは一番大切な自分を自分で死なせているんだ。


別にスキゾイドは病気じゃないので、本人が何も困っていないのなら、そのまま楽しく生きていていいと思います。

 

多くの人は、そのまま死んでいくでしょう。

 


でも私は、そうはありたくない。

 

自分というものを世界で一番突き詰めて、最終的な答えを出したいと思っています。


このブログには、その一部を共有はしますが、すべてを書くことはしません。

 

なぜなら、本当に大切なことは本人が考えないと意味がないからです。

 


今、どれだけの人が「考える」ということをしているでしょうか。

 

大半の人が、ネットで欲しい答えを探して終わりでしょう。

 

そこに欲しい答えがなければ諦めるか、苦しさを愚痴という形で周りにまき散らして終わりでしょう。

 


私は今、自分という謎の生き物について、膨大な量の気付きをノートにまとめています。

 

私がもし、神様からおまけの時間をもらっている意味があるとすれば、それは「人間らしく生きる」という、“人”として人生をもう一回やり直す貴重な時間を、もらっているのだと思っています。

 


私が最終的に目指しているもの。

 

それは人間に戻るということです。

 

多くの人には全く意味がわからないと思いますが、わからなくていいです。

 

これは誰かに影響を与えることではなく、すべて自分のためにやっているからです。

 

 

私のように、ある日突然体が動かなくなって、必然的に内観をやらざるを得なくなった。

 

そんな理由でもない限り、ほとんどの人には、どうでもいい問題です。

 

所詮テーマは「自分」ですから(笑)

 


そんなわけでこのブログでは、最終的には臨死体験者との交流を目的としたいという意図はありますが、当面はスキゾイドアダルトチルドレン、またそれに伴う内観の記録がメインとなります。


一年前の自分なら、こんなことをブログに書いているなんて、とても信じられませんね(笑)

 


でも今は素直にこう思います。


感じることから、心を遠ざけてはいけない。

 

暑いとか寒いとか、痛いとか助けてとか、好きだとか、私はここにいるぞー!とか、ちゃんと叫ばないと、誰にも伝わらない。

 

そして誰よりも、喜びや悲しみや苦しみや楽しさを感じたい。

 

生きるってそういうことです。

 


そして、私は「生きる」というものの、その先に行きたい。

 

両親に壊された人格を取り戻しにいきたい。

 

すべての力をなくす前に。

 

それが最終ゴールだと思っています。