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内観の記録。その他。

LINEという名の狂気

毎度お馴染み反故の常習犯で、メールやLINE、SNSその他、全く返事を返さないことで有名な私ですが、

 

昨日意を決して、溜まっていたLINEのトークを空にしました。

 

 

お返事を全て返し、返した人のトーク履歴は消したので、残ったのが弟と親友だけに。

 

普段、基本的に返事は全て放置しているので、久しぶりにLINEのトーク画面が綺麗になりました。

 

 

この状態は久しぶりだったので、我ながら私もやれば出来るじゃないか(YDK)と思いました(笑)

 

 

しかし翌日。

 

スマホの電源を入れると、すでにLINEの未読メッセージが14件。

 

 

私は基本的に、一日の半分以上スマホの電源を切っているので、夕方の18時過ぎくらいにようやく電源を入れるのですが、

 

その時点でもうトークが14件も溜まっているのを見て、死にたくなりました。

 

 

そしてこれがまた毎日続いて、LINEがどんどん溜まっていって、

 

「ちょっと、ちょこさん!LINE見てます?何で返事くれないんですか!!」と怒られるわけです。

 

 

この返事が出来ない病、すなわち「反故」については、別途自己分析した記事を書く予定ではありますが、

 

とにかくLINEが本当に苦痛で永遠に開封したくないというか、永遠にスマホの電源を入れたくないというくらい、この現象が狂気なわけです。

 

 

何でみんな普通にメッセージのやり取りが出来るんですかね?

 

カップルとか、朝の「おはよう」から始まって、夜の「おやすみ」まで、頻繁にメッセージしてるじゃないですか。

 

 

あんなの本当に無理すぎて、

 

ふあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

ってなります(笑)

 

 

LINEがなかったガラケー時代は、メールの返事も全くしなかったし、電話にも出ないので、用件がある時は相手が自宅に直接来てくれていました。

 

そして強制連行・・・('◇')ゞ

 

 

こちらからしたら、気が向いた時に返すから、ちょっと待ってて!という感じなのですが、相手からしたらとんでもなく迷惑ですよね。

 

そして何と43歳にして、人生で初めてこの問題と今、向き合っています。

 

 

一切悪気はないのですが、やはり社会人として色々問題がありすぎるので、本気で何とかしようと思っています。

 

 

そして、一昨年の夏くらいから始めたTwitterですが、こちらはなんと一日も欠かさずに投稿が続いています。

 

毎日何かしらつぶやいているので、すっかり習慣になりました。

 

 

Twitterは不思議と苦痛じゃないんですよね。

 

メモ代わりに好きなこと書いてるだけだから。

 

 

(ちなみにTwitterでつぶやいた内容は全てバックアップを取っているので、いずれこのブログにまとめて全部投稿します。そのために「メモ」というカテゴリーをわざわざ作ったので。笑)

 

 

人間、得手不得手があって、どうしても出来ない事もあっていいと思います。

 

でもせっかく内観をやっているのだから、ずっと問題視していた反故についても、根本原因から解決しようと思ったわけです。

 

 

本音を言えば、誰だよLINEなんていうメッセンジャーアプリを作ったやつ、面倒で死にそうだよ、気が狂いそうだよと思っています(笑)

 

でも、せっかくSNSやアプリ全盛の時代において、それらを全く使いこなせない、もしくは楽しめないというのは、人生における損失が大きすぎるとも思うわけです。

 

 

仕事に関しての連絡は、会社員時代に散々上司から怒られて矯正されたので、ほぼ即レスに近い状態でやり取りが出来るようになったのですが、

 

それはあくまでも義務であって、自分でやりたくてやっているわけではないのです。

 

むしろ、すぐに返さなきゃ・・・という圧力で、これはこれで別の狂気がそこにはあったりするわけです。

 

 

ちなみに同じ反故でも、

 

・自分が連絡を滞らせてしまうことによって生み出している社会的な損失に絶望し、なんて自分はダメな人間なんだと自分を責めて苦しくなるタイプ

 

と、

 

・本当に連絡が面倒で後でやろうと思っているうちに忘れてしまって、その人とのやり取りそのものがその人の中で最初から無かった事になってしまうタイプ

 

がいますが、私は前者です。

 

 

だから苦しいのです。

 

悪気はないのに出来ないから。

 

後者の忘れてしまうタイプはそもそも記憶がないので、約束を破っても「ごめん覚えてない」とさらっと言いますが、本人がそれによって罪悪感を感じているかは謎です(笑)

 

 

特に反故で一番厄介なのが、私が返事を返さないことによって、相手が気を使って下からコントロールしてくること。

 

気遣いという名の下からの支配。

 

 

「気長に待ってるから返事はいつでもいいよ」

 

「別に遅くても気にしないよ」

「それでもずっと友達でいるよ」

 

 

この気遣いが、もはや人間関係として対等ではないのです。

 

相手に気を使わせていることによって、立場が上と下になってしまっているのです。

 

 

つまり自分が自ら相手に支配させているということ。

 

ここが分かると本当にゾッとします。

 

 

私も無意識に、自分が返事を返さなくても、それでもなお友達でいてくれて、私に気を使いながら付き合ってくれる人を選んでいたし(傷つきたくないから)、

 

結局、支配されて育った人間は、どこまでも支配される世界で生き続けるのだなと思ったわけです。

 

 

こうして反故一つとっても、幼少期に染みついた服従根性と、自分を守るための処世術が根強く残ってしまっているのがわかります。

 


しかし、この反故については他にも色々と思うところがあり、(というかこの問題を深く掘り下げていったら、本当に色々と重要なことに気付いたので)、今後も引き続き記事にしていこうと思っています。